日本料理 フレンチ 中華料理

料理は競うものでも比べるものでもありません。


が、それぞれの国民が自分の国料理こそと、胸を張り、料理人は我が携わる料理こそ最も洗礼された、と自信を高らかに歌い上げます。


一昔、二昔前に比べたら、今ほど各国料理の本物に近いものが日本で食べられる時代はありません。


流通が革命的に発達し、貿易障壁がますます緩和されたおかげです。


本物というのはこういう味であったかと、ハタと手を打つことが度々あります。


そういう経験をする度に、最高級の素材を手に入れ、持ち味を最大限に生かしながら調理をするというスタンスを持つ限り、国による料理の優劣はつけられなくなることを再認識します。


フレンチは素材の鮮度をソースでごまかすとか、
同じくバターの多用で味が単一だとか、
中華料理は何でも炒めてしまって素材の良さが見えないとか、
鮮度のいい魚は刺身にするに限るとか、
うまい肉は塩胡椒、備長炭で焼く以上の料理方法はないとか、
料理とは仕事をすることと、切ったり張ったり蒸したり揚げたり、結局いじくり回しすぎて、持ち味はどこかにいってしまったり、


お客さまの誤解はまだしも、料理人さえ訳の分からないことになってしまっていることがあります。


要は、どれだけ素材を見極める力を持ち、それを最大限に生かせるかという料理人の力量がすべてで、それがフレンチであれ、中華であれ、日本料理であっても料理の国別対抗は無意味であると思います。


が、
力のある料理人のフレンチ、中華料理ほかをいただいたとき、果たしてこの同じ素材を日本料理で私自身がこれほどの高いレベルを表現できているか?と常に自問しています。


素性がよく鮮度の良い素材を、正しい熟成を経て、適正な料理法でサーブすることに緊張感を持って立ち向かっている料理人を前にすると、「日本料理こそ世界の頂点」などという安易な自己満足など消し飛んでしまいます。