作家の値打ち
料理については、店に入って、最初の一品が出てきた時点で、その店に素性が90%くらいまで見えますし、良きにつけ悪しきにつけ、批評めいたこともできるような気がします。
食の世界で生活しているのですから当たり前です。
活字の世界ではどうか?
活字中毒というほどではないにしても、本を読むという日常がなかったら死んでしまうかもしれません。
が、
本好きというだけで、善し悪しの判断など公に出来ようはずがありません。
一般的な書評も誉めるか、分析的であるかくらいで、「ミュシュラン」のように点数で判断することはしないのが当たり前でした。「本の雑誌」などは中立的で、評価ををつけている人もいますが作家そのものを批評することはしていません。
そこで、福田和也さんの「作家の値打ち」です。
こんな事書いちゃっていいの?
刺されない?
おもしろい!と思った作品、うまいなあと思った作家がケチョンケチョン、一方ではたと手を打つ評価も満載です。
井上ひさし:その作品は、いずれにしても、文学的感興からはほど遠い、「正義」や「スローガン」から編み出された文学らしきものにしか見えない。
桐野夏生:ともすれば小説の未来に対して絶望しそうな昨今、まさしく希望の星とも言うべき存在である。
島田雅彦:同世代で「床柱を背にできる唯一の作家」と評したが、その器の大きさと鷹揚さ、ユーモアは稀有のものである。
人前で読むと恥ずかしい作品。もしも読んでいたら秘密にした方がいい:
「テロリストのパラソル」(藤原伊織)
「ジゴロ」(伊集院静)
「同時代ゲーム」(大江健三郎)
「ループ」(鈴木光司)
「失楽園」(渡辺淳一)
等々など
ド!ヒャーー!です。
批評の部分だけを取り上げるのは大変危険なのは承知しています。「えっ?」と思ったらまず本屋で立ち読みしてください。
好きな作家の部分をちらっと見て、ダメだったらすぐ本を閉じて買うのをやめにしましょう。
いずれにしても心臓に悪い本です。
ページをめくる度にドキドキ、ハラハラ、自分の読書力まで判断されていそう。
気弱で、「知」には全く自信のない板前は、とりあえず点数の高い未読の本を読んで見ようと思っています。