バリアフリー


今でこそ転職は当たり前、終身雇用なんて昔のことになっていますが、私が社会人になったころは一度就職したらその会社に骨を埋めるつもり、が常識でした。


そこへいくと板前は都合がよろしい。終身雇用なんて考えません。


で、
私も大阪での修行が一段落したとき、長期の休暇を取りました。
といえば聞こえがいいのですが、プータロウを一時期していたのです。


バックパックを担いでアメリカへ、およそ半年。
ともかく、「金がなくなるまで」を目標にプータロウ、不良外人を決め込みました。


その時の顛末記は追々お話しするとして、観光旅行でなく一つの都市に一週間、もしくは一ヶ月の単位で生活してみて印象的だったのは、車椅子を始め障害をもった人々が街にあふれていることでした。特別扱いはせず、過度な気遣いはせずに当たり前に表にでていたのは当時の日本では考えられないことでした。


それから二十年。やっと最近バリアフリーが多く語られるようになってはいるのですが、マスメディアの論調をみていると企業の利潤追求のためのバリアフリー商品、もしくは企業のイメージアップのためのバリアフリー対策が目につきます。


ハードウエアはブームに乗って自治体や企業にやらせればよいのですが、一般レベルでは障害者が街にあふれているのは当たり前で、大声を張り上げて気遣い、優しさを強調する必要はない、といっては言い過ぎでしょうか。


半年ほど前、手話のお話を聞く機会がありました。


「私の名前は〇〇です。どうぞよろしく」


見ているだけでは簡単に思うのですが、いざ障害者の方の前で実際にやろうと思うと難しい。ましてや手話通訳の実体などは想像を超えていました。


そして、手話通訳の力と聾唖の方の人柄と教養によって手話による講演が、エスプリに満ちた上質の時間となったのはさらに驚きでした。