身売り
板前といえば修行
修行をしていない料理人は「自己流」などと称しながら
やはり厳しい修行を経た人間に負い目を感じたりするようです。
今だから言えるのですが、
どんな名店で修行しようが本人の器がなければ名料理人になれるわけではありません。
かえって、
「〇〇」で修行した、ということが
「それでこの程度??」というマイナスイメージにもなりかねないのです。
私も大阪での修行を経ました。
その当時は「料理学校から料理屋」へという就職は一般的ではなくて
紹介という形で修業先を見つけました。
祖父は関東で修行した人間なのですが
「時代は関西」という父の判断で知り合いの料亭に頼りました。
「播半」という超高級料亭のおやっさん(親方)にお願いをすることになったのです。
が
実際には播半にお世話になるのか
別の料理屋にいくのか
出かける当日までわからない
初めての就職先を知らされず、「〇〇へいきなさい」と
言われるままに即そこでお世話になるという状況だったのです。
世話人は関西のドンです。
「私、どこいくんでしょうか?」
なんて前もって電話で聞けるような方ではないかったし
そんな時代だったのです。
身売りみたいなもんです。
その当日、とりあえずの身の回りのものを鞄に詰め
播半へ
調理場は60代後半のおやっさん
立板も煮方も40〜50代、ほかに十数人の板前
薄暗くてと低い天井
むかーーーしの調理場です。
「ここへ入ったら3年は掃除と鍋洗いだけだろうな」と頭ン中が真っ暗になりました。
関西きっての名料亭のひとつですから
そこで一人前になるには相当な年数がかかるのは当たり前です。
が
幸運なことにというべきか不幸なことにというべきか
その日私は播半のおやっさんの弟子の店へ連れていかれたのでした。
さて、どんな店か、こわいおやっさんなのか、どんな料理を作っているのか
何人くらいの調理場なのか、どこに寝泊まりするのか
何一つ知らないまま
給料いくら 休みは何日なんて聞くことすら頭にありませんでした。
私どこいくの??
♪異人さんにつーれられて いっちゃった♪
(ちょっと違う)