街の料理屋さん
蕎麦 鮨 が一部で特別な食べ物になったのは2000年以降・・・なんだろうか?
などと考えていました。
週末に、東京で暮らす娘と二歳の孫が帰っていて「食事 どうする?」と聞くと
「回らないお寿司」という返事が返ってきました。
幼児といっしょに入店できるお寿司屋さん、はて?
と考えてみると、以前はどこの街にもあった、街のお寿司屋さんが少なくなっているのに気づきました。
近隣の住民に愛され、家族でも一人でもふらっと立ち寄り、お造りにビール、焼き物とお吸い物をもらって日本酒、最後にいくつか握ってもらう。
小さな子供といっしょなら小上がりの座敷でわいわい言いながら好きなものを頼む。
来客があったり、お正月には出前で桶を頼む。
なんていうお寿司屋さん。
繁華街でなくても住宅地の一角にひっそり佇むお寿司屋さんが、とうちゃんかあちゃんでやりくりして十分にやっていけたのです。
ところが、昨今では幹線道路の回転鮨が、休日には行列をなしている一方で、街のお寿司屋さんは息子が跡を継ぐことなく静かに商売をやめていかれます。
かと思えば、東京の銀座 青山 六本木では、子供連れなどとんでもないという高級店をたちあげる若い職人さんが次々と現れています。
二極化と単純に片付けられる状況ではないような気がします。
庶民のための街のお寿司屋さんが風前の灯火となることが経済的歴史的な流れなのでしょうか?
同じようにレバニラ炒め 八宝菜 普通のラーメンがある街の中華屋さんも同様。
チェーン店ではない街の小料理屋さんも同様。
このままで行くと、私ン処のような和食店もなくなる日がくるのは必然かもしれません。
で、
お目当ての街のお寿司屋さんはありました。
毎朝 私よりも早く魚屋さんにでかけ、仕込みに手抜きをしない方がいました。
持って行く食材も 仕事ぶりの真面目さも十分に知っていましたので、安心してでかけ、家族の楽しい時間が過ごせました。
が、
このお寿司屋さんも息子さんは跡を継ぐ予定はないようです。