学ぶこと


料理人の最初のステップは修行時代ですが、そこで学んだこと以上に名店へ食べに伺って学んだことがたくさんあります。


そこでは料理自体を盗むよりも、店の姿勢を学ぶことの方が遙かに多いのです。今の店があるのも、様々な名店の真摯な姿勢のおかげといっていいでしょう。


名店であるなしにかかわらず、食べに伺って感じ取ることは人様々です。それは小説を読んだり、映画を見たり、ファインアートを鑑賞したときの感想やその奥行きが人それぞれであるように、一つの店で過ごした2-3時間から何をえるかもたとえ同じ料理職人でも様々です。




たとえば、伊豆修善寺の名旅館「あさば」さんで得たものの最大は、朝の玉子焼きでした。


そう、どこの割烹旅館でも出てくる朝の玉子焼き。


それができたてであったことは驚きでした。


旅館の朝食の料理の多くにできたてを望むことは難しいのが普通です。ご飯と赤だしが温かいのは当たり前としても、ほかはよくても固形燃料で温めた湯豆腐とか、鰺の干物ができたてであればかなり優秀といえる中、「出汁巻き玉子が熱々」は店のキャパシティと調理場の仕事ぶりを知る人間には「当たり前のことを当たり前に手抜きなくやる」職人仕事の見事さをまざまざと見せつけられる感じでした。


少し大きめのホテル バイキングの朝食玉子焼きがパック詰めされた既製品の玉子焼きであることをご存じでしょうか?料亭といわれる店の仕出し弁当の玉子焼きも時として同じ既製品であることも今ではごく当たり前です。


経済効率を考えればその方が利益が上がるのです。


玉子焼きを自分の店で焼くことは当たり前でも、朝食という短い時間にすべてをこなさなくてはならない仕事の中でできたてを各部屋にお届けすること。本来ならできたてが美味しくてそれを提供できれば理想的でも諸事情が許さない。。。を軽々と越えているのは、名店が名店たるゆえんです。


変哲もない普通の仕事のやるべきことを手抜きなくやる。


利潤の追求が第一目的になっている飲食店ではありえません。


できたての玉子焼きが、私の店のあるべき姿も教えてくれた気がします。



もちろん、手の込んだ・・・というよりも、品格のある料理の数々も、おこたりのない選び抜いた飲み物のメニューも、掃除の行き届いたすべての館内も、けちの付けようのないうっとりする売店の品揃えも、館内の各所に配置された椅子の名品たちも、ライブラリーの本の緻密さも、気を抜くところのが一つもないのに緊張感よりもゆとりを感じさせる優雅さに充ちたすべてにほとほと感心したことはいうまでもありません。