むきもの


若いスタッフと話していると、たまたま「むきもの」のお話になりました。


今の日本料理の世界ではどんな高級料理店でも人参や大根を季節の花に剥いたり、お祝いに鶴亀を剥いて大皿に盛ることはなくなりました。それよりは素材そのものの味わいを生かし切ることに重点が置かれ、細かな包丁仕事に熱中する前に味に目が行くべきというのが本筋と思われています。


もしかすると、私などむきものを習った最後の世代かもしれません。


以前にもお話ししたことがありますが、二十代後半から三十代にかけて五年間ほど毎週、有志が集まってむきもの名人の職人さんに教えを請うていました。


当時でもむきものができる職人さんは希少価値だったのです。


カボチャを木の葉や藤に剥いたり、蕪を菊に、大根で菖蒲をなどという初級はもちろんのこと、鶴亀、金魚 龍門の鯉 七福神それぞれ、花車、干支全部などという技巧的なものまで。五年も習えば一通りは勉強できたわけで、当時巷でみるむきもので驚かされたことはほぼないと言っていいほど、テクニックに自信がついていました。


祖父はもちろんむきもの全般ができる人でしたが、たぶん私の方がレパートリーも技術も上であったかと思います。



ところが、時代はむきものを全く必要としなくなって長い時を経てしまいました。


写真はなく、資料も手書きの絵が少々残っているだけで、三十年前を思い出そうとしても無理。その流派の本も古本でさえ残っていません。


今でしたらスマホで撮ってnetにあげておけば。。。なんならYOU TUBEでupすれば記録として残して置けたんでしょうねぇ。


というわけで、若いスタッフにこんなことするんだよ、と、チャチャと仕上げたのは冬瓜で剥いた扇



さらに今朝、必死に思い出して途中まで剥いた人参の金魚



ここから先の大切なディテイルが思い出せません。


腕がさび付くって言うのはこういうことをいうんでしょうねぇ。


この程度のことでしたら、かつらむきができる日本料理職人ならだれでもできること。大切なのはキドリ(寸法の取り方)を覚えていて訓練をちょっと積み重ねること。


誰もやらないなら、さび付いた腕をもう一度磨いてみようかなぁぁ。。。。