共通認識
久しぶりに東京へ出かけました。
連れ合いの誕生日を祝う家族揃っての昼食・・・の前に、私は一人で国立新美術館「マグリット展」を覗いてきました。
時間もないことだし、ざっと観ればと思ったのに、作品群がグイグイ迫ってきて心が折れそうになるくらいに疲れました。
「理解できていないアーティストは浴びるほどその作品を観れて初めて腑に落ちる」と知ったのは1980年のピカソ(NY MOMA)を観たとき。
しかしながらマグリットはピカソのような楽天的な解放よりも、深く心の中をえぐってくるような毒舌でしたたかにやっつけられました。
作品の横に書かれたキャプションと題名なんぞ真剣に読んでいたら、展覧会の半分も耐えられなかったでしょう。
あれで、マグリット本人は幼なじみと結婚し、初期は商業的なイラストなども描きながら生計を立て、質素な生活を一生貫いたというのですから、心の中の狂気を絵にのみたたきつけた凄い画家なのでしょうね。
昼食はずっと以前に尊敬する中華職人さんに教えていただいていた「礼華」さんへ。
昼食の簡易なコースなのに、ひとつひとつ品々が真っ当でぶれのない素敵な料理でした。料理人の意思がはっきりと料理に現れている店は気持ちがいいです。
食べログなどのランキングサイトで店選びをするよりも、信頼する料理人に「どこがいい?」と聞くのがやっぱり一番というのを再確認しました。
夕食はひとりで済ませることのなりそうなので、息子に「こんな機会でもないと行けないから、ラーメンならいまどこ?」と聞くと、「らぁ麺やまぐち」と。
この日記では昨今のラーメンにはつねに否定的な言葉ばかりを投げかけていましたが、ここはいい。
スープも麺も具も突き詰めるべき方向を誤らずに、一つ一つを丁寧に仕上げています。で、バランスがいい。
あらゆるものを足して足して、こだわってこだわって至極バラバラな味になってしまったり、店主の意思が丼に表れなかったりする店が多い中、実直さが味わいにそのまま現れた店でありました。
んで、なによりも、息子がこの店をいいな。。。と思って薦めてくれたことに、親ばかながら密かに誇りを感じました。私たち夫婦の舌の価値観が間違いなく子ども達に受け継がれていることを私の舌が認識しました。
以前に「若者の舌はどうかしてしまっているのでは?」と書いたことは、少なくとも我が家では杞憂のようです。(親ばかでスミマセン)