社会的な地位


気がついたら同級生が商店界連盟の会長になっていました。


小学校 中学 高校といっしょであったのですが、祭り上げられて上に立つというタイプだとは思っていなかったので意外・・・とはいえ、卒業後40年も経ているのですから、青春時代と同じ生き方であると思う方がどうかしているわけです。ボランティアで組織の上にたてること、立派です。


別のある同級生は私立高校の学校長になっていてかなり評価も高いらしいと知りました。


高校時代の彼はおっとりと静かで「長」と名がつく地位に収まるとは思っても見ませんでした。しばらくぶりに見た彼は自信に溢れていて心強く感じました。


また同じクラスの別の友人は、知らないうちに世界でも有数の大企業の常務取締役になっていました。彼の有能さは高校卒業後にめきめきと現れたことを肌で知っていたので、上っていくことは想像していたものの、まさかあの会社のトップ5にまで上り詰めるとは思っても見ませんでした。


またある同級生はロータリークラブの会長であったり、協同組合の理事長であったり、○○会の会長であったり。。。。


すでにいい歳なのですから、いわゆる社会的な地位を得ている同級生達がたくさんいることはなんの不思議でもありません。


振り返ってみると、祖父は私と同じ歳にはすでに浜松市自治連合会長に就任していてその後20年会長職にいました。父は市内の料理組合の理事長で、県でも副理事長を永く勤めていました。




さて、私はというと、
あの家の息子であれば、○○の役員をやるのは当然であろう・・・と、一時は思われたりもしたものの、上に立つ能力のあまりのなさゆえに、公な地位はなにもありません。


小さな小さな料理屋のオヤジで、料理人という肩書き以外はなにも持っていません。


祖父や父の姿を見ていると、公の役を仰せつかるためには人望もさることながら、自社で主だった仕事をしなくても従業員、家族がしっかりと会社を守っている体制ができていなければ仰せつかることができないのです。


店の規模を小さくし、自分の目の届く範囲の仕事だけに特化することにした数年前以降、誰かに仕事をまかせて公の仕事ができるような店の仕組みはなくなってしまいました。


周りの同級生 友人達がりっぱに社会貢献しているのをみて、「素晴らしいなぁ」とは思うものの、私自身はやっぱり職人としてお客様にだけ目を向けている今の日々が一番楽しく感じられます。


私の能力を考えれば、これだけでいっぱいいっぱいなんですね。「上に立つ柄じゃぁない」これが私には一番楽ちんだなぁ。