息苦しい時代の生き方


書いてしまっていいものか。。。と、ただただ迷い、もしかしたら記事自体をすぐに削除するかもしれないと思いつつも書き始めています。


桑田圭祐さんの「謝罪」は同世代の私にはかなり引っかかりました。


桑田という存在はあの手の謝罪には無縁の人だと思っていました。同時代を生きてきた人間にはロックに身を置く人間が少々破天荒なことをしでかしても「しょうがねえなぁ」とか「まっ、ミュージシャンのやることだから」と大目にみるものでした。


あまり興味のある話ではないので、はっきり覚えているわけではないのでですが、実際、以前の紅白で「お客様は神様です」とやらかした時も、すったもんだはあったらしいのですが、公に桑田さんが謝罪をした覚えはありませんし、あのパフォーマンスのわけについて言い訳がましいコメントを発表した記憶もありません。記憶には残るけれど世間が大きく揺れたというわけではなかったように思います。


もちろん今回の謝罪のケースは紅白がらみだけではないらしいのですが、要はミュージシャンである桑田さんをして謝罪を公にさせる世間の息苦しさに空恐ろしさを感じます。


netが言論を支配し、家族の茶飲み話や友人どうしの酒飲み話の悪口がSNS発信されてあっという間に広がり、それについていいの悪いの大合唱が始まってしまってからでは自分の立場を守ることはできない世の中になってしまいました。ほんのこの三四年の急変です。




実はことの経緯は違うのですが、料理業界でもnetの広がりが店とお客様との関係も変えつつあります。


net以前、ご来店されたお客様の苦言を翌日電話で伝えてくるというケースは極まれでした。これが食中毒でしたらわけが違いますが、たとえば最後に出されたお茶がぬるかったとか、料理のタイミングが少々遅かったとか、店主があいさつで出てこなかったとか。電話で不快感を伝えるもしくは手紙で改善を要求するまでのケースにはならない事例でも、netでは同じ内容がかなり簡単にお叱りの言葉として送られてきます。


そのハードルの低さは恐ろしいほどです。


もちろん高いお足を頂戴するわけですからひとつひとつに丁寧に対応するのは当然ですが、「時代は大きく変わっているなぁ」と感じることはしばしばあります。


これがさらにFACEBOOK TWITTER で拡散し、食べログで匿名のもとに罵詈雑言になるのです。


「弁当二十個のうちに一本箸が入っていなかった。どうしてくれるんだ」


電話ではわざわざかけるのも面倒くさいと思っても、mailなら簡単に送れてきて、箸一本でも当然ですが菓子折りをもってお詫びに行きます。


面と向かえば「わざわざ来てもらうほどのことではなかった」と恐縮してくださっても苦情が苦情であることに変わりはありません。



外食業界での異物混入も広がり方を見ていると同じ飲食業界に身を置いていると背筋が凍ります。



桑田さんのケースがあるからというわけではありませんが、板前日記の更新が頻繁でなくなっている原因の一端は、板前風情の発言でも一度netの嵐の中に入ってしまったら取り返しがつかないという恐れを常に抱き始めているからかもしれません。昔、掲示板が荒れたなどということなどほのぼの思い出すくらいです。


あらゆる人のあらゆる発言はいつどこでどう扱われるのかわからない。netで批判の対象になった人間でなければ恐ろしさはわかりません。


私自身はnet上では発言は、どれほど閉じているコミュニティの中でも、匿名にしているつもりでも、必ず公に暴かれ、一生消されることがないかもしれないという危機感を持っています。そんな危機感を抱きつつもこんな発言。。。大丈夫か?俺。