昔話


スタッフと仕事をしながら、ふと、「私が当たり前だと思っていたことも、昭和の昔のお話なんだなぁ」と感じることがあります。


私が子供の頃(から昭和の末期まで)店のスタッフ(とは昔は当然言いません。「若い衆」と呼びました)は住み込みが当たり前でした。


「通い」になるのは所帯をもったベテランだけ、修業時代は店の従業員部屋で生活し、先輩後輩がともに一日中いっしょにいました。


20年ほど前にビルにした時、「もう住み込みの時代じゃぁないだろう」とやっと全員が「通い」になったのです。「住み込みの修業なんてイヤだ」という風潮も肌で感じていました。



「若い衆」が住み込みだった頃、飯炊き洗い場のおばちゃんにも住み込みの女性がいました。


彼女には四畳半の部屋が与えられていて、店の一角のその部屋が生活の場でもありました。(現代なら従業員のそんなスペースがあるなら客室に使え!と考えるでしょうね)


30年以上店で働いてくれていた彼女は、戦争未亡人。調理場の下働きをしながら、こつこつと貯金し、土地を買い、アパートを建て、大家さんにもなり(大家さんになっても下働きをずっと続けていました)、娘にも家を建てて、引退後は安楽に過ごしたワーキングマザーです。


慎ましやかに生活し、女性でも身を立てていった姿はたくましさをこえて神々しささえ感じます。


昭和の時代にはそんな女性がいたのです。