叱られる力


修行する若者に対しても、自分の子供に対しても大きな声をあげて叱ることなく過ごせたことを心の中では小さな誇りとしてきました。


子ども達のお話ですとこんな記事を、弟子達のお話ですと最近のこんな記事  いずれもちょっと小自慢を含めて書いているわけですが、世間ではすでにこんな傾向は当たり前であったようです。


若者を叱らない。叱ってしまうとすぐに辞めちゃう。


たとえば、怒鳴ってなんぼ、常に締め切りを抱える新聞社の報道部でも怒号を聞かなくなってすでに10年以上。。。などとラジオの番組で知りました。


さらには阿川佐和子さんの新刊本は「叱られる力 聞く力 2」 


☆『聞く力』についての取材を受けるうち、阿川さんは女性誌の編集者との雑談で、いかに部下を叱りにくいか、若い社員が叱られ弱いか、について聞かされる機会が何度もありました。注意したら会社に来なくなった、なんていうのは序の口で、隣の席の先輩が怒られているのを見ただけで辞表を出す、「人に叱られたのは初めてで、どうしたらいいかわからない」と茫然とする……などなど、異常に打たれ弱い新人・若手社員が増殖している現実に気づかされたのです。


とあります。


私たちの世代が叱らなかったことのツケがすでに若者の打たれ弱さに表れてしまっているのだ。。。。ってこと?


こんなお話を聞いてしまうと、自分の歩んだ道を否定されているようで辛く思えるます。


叱られ続け怒られ続け、伸びる能力も否定されてきた私たち世代の反動が、叱らないで育てる風土を生み、さらにその反動が生まれつつあるというわけです。


ああ言えばこう言う、こうすればああなる  世の中にベストな方法、唯一無二の手法はないのですね。


しかし、ことの本質は叱られたから伸びるとか、叱ることがないから堕落するということではないはずです。