年齢の呪縛


昨日書いたように、年上を恐れ敬う気持ちをずっと引きずっているのは私だけではないと思います。


たとえば高校生の時、一年上の上級生がとてつもなく大人に見えてしまった経験は誰しもあること、若い時代の一年の差は経験値に大きな違いをもたらすものです。


社会人になっても何年入社だととか、何年生まれかで人間関係言葉遣いも違ってくるのはごく自然な流れの中で日本人に身についた習いです。


私自身は歳を経て、3-4歳の年の差は微細に思えてくるようになったとはいえ、やはり年上に対する尊敬の気持ちは昨日書いたように持ち続けています。と同時に、社会で認められた地位を得た人格が同世代だったり年下だったりすると、そのことで親近感というか、同じ時代を経てきたという同時代目線でややもすると軽くみてしまうこともあるのは事実です。社会的評価が高いとはいっても同級じゃん。仕事は立派かもしれないけれど同い年なら精神構造はそれほど違わないはず・・・なんて。勝手な思い込みなんですが。



民主党の野田さんが首相になったとき、大学時代の写真が紹介されて、少し年下が首相になったことがちょっとショックだっただけでなく、同世代、同じ大学で同じような姿の格好の野田さんを見て、「なぁぁんだ、首相といったって同じ時代に同じようなことをしてたヤツがなっちゃっただけ」と気が晴れたような思いになったものでした。そのときがやっと年齢の呪縛から解き放たれた瞬間かもしれません。高校や大学時代の人格が20年をへて聖人なったり、スーパーな頭脳を手に入れることなどないことは経験的に知っていますから。


そんな目線でお客様を眺めていると、年上で地位のある方がちょっとした言い回しで座をしらけさせてしまったり、私よりもずっと年下の部長クラスの方の部下に対する態度が前時代的に横柄だったりする姿があって、年齢を積み重ねることだけが人格を作るのではないな・・・と、勉強させてもらったりしています。


とはいっても反面教師を遠くから眺めたからといって私の人格が磨かれて素晴らしくなるなんてことは120%ないんですが。。。