職人を育てる〜その2


若い見習の個々の技量に合わせて適切に教えたつもりで来た30年間、ごく希に人格的な問題で声をあらげたこともなかったわけではありませんが、仕事ができないことで怒ったことは一度もなかったはずです。


で、
前回書いた「おこらずに育てる」で果たしていい職人がそだったのか?


答えははっきりとダメでした。


というより、怒っても怒らなくても、私が技術的にも人間的にもはるかに越えられてしまったな。。。と思うほどの職人は育たなかったといっていいと思います。これはひたすら教育という側面でのわたくしの能力のなさが原因です。


まっ、吉兆さんで修行したから、千花さんで修行したからといって次々と人材が出てくるわけではないことを考えれば、本人の資質の問題でもあるのかもしれません。


技術はそれなりに身についても、そこから先にあるもっと大切な料理人としての素養や店主としての経営能力まで考えると、修業先を越える店を作り上げることの難しさは計り知れません。料理の技術面だけをとらえれば、7-10年の勉強でおおよそは身につけることが出来ると思うのですが、それだけで店を切り盛りすることはできません。お客様に満足していただくための素養は、簡単に教えてできるものではないのです。それらの多くは正に親方、店主の姿を見て覚えるもの。もちろんアドバイスはたっぷりするのですが、一番の決め手は本人にそれらを受け入れて吸収するだけの器があるかどうかなのです。


たとえば日本酒ワインの酒類だけを例にとっても、店にある銘酒達の膨大な情報量を与え、どれだけ試飲をさせても味わいの感動まで共有できる舌を持つことは難しく、それらの入手のためのノウハウまで、なんでも教えてあげようとしても当人にその意欲と受け入れるためのキャバシティがなければ○○の耳に念仏でしかありません。


器にしてもたとえば桃山陶器に感動する下地や、作家に対する思い入れがなければ、どれほどいい器を日常的に使わせてもらっていても見る目はなかなか養えません。



そればかりか、怒らないことで仕事を甘く見るような若者さえ現れることもあったのは事実です。


こういう時は「怒った方が早いのか??」と迷うことしきりでしたが、その部分でも技術から先の素養の部分でも「本人次第」は変わらないことですので、わたくしが悩むのもばかばかしく思えてきたものです。


それらのがっかり感が「もう弟子はいらない」という今の調理場の体勢を4年前に作った原因でした。それよりは自分自身が気持ちよく仕事が出来る環境を作ることの方が大切であると思ったのです。教育者としては負け犬ですが。


ただ、調理場の仕事のしやすさは教育部分をはぶいたことのストレスのなさで格段にいい方向に向かいました。


祖父の代から培った職人を育てる店としての使命を全うすることは出来ませんでしたが、調理場を取り巻く様々な環境の変化も考えれば仕方のないことでした。


と、十分に納得したのですが、今、ちょっとした変化が。。。。そのお話はまた。