職人を育てる


先日の「かに道楽事件」を知ったのはTwitter上の佐々木俊尚さんのtweetからでした。


”こういう多様性を持たないと移民が来ても不幸になるばかり。「見て覚えろという日本的な指導法は通用しない。中国人に必要なのは、日本人には敬遠されがちな明確な指示」/中国人バイトはなぜ調理師を刺したのか…背景に浮かぶ日中仕事観の違い ”


”理不尽だけど身体で学べ、みたいな有効性はたしかにあるとは思うんだけど、そういう昔ながらのやり方でこれからの時代のスキルを本当に覚えられるの?という根源的な不安が若い世代にあり、そこに断絶があると思うな。外国人に対してもその断絶は同じ事”


と話はリツイートを繰り返して発展していきました。


職人仕事は「盗んで覚えろ」「身体で覚えろ」と言われるように、懇切丁寧に見習いに教えるのではなくて、失敗を繰り返し、怒られながら「覚える」と言うよりは「身につけていく」ものだと言われてきましたし、今もそういう現場が多いのが実情です。


かくいう私も35年前のぼんちゃん時代には、毎日繰り返される「アホ!」「ボケ!」「カス!」の言葉を浴びて仕事を覚えました。


「お前、ほーーんとに打たれ強いなぁ」と先輩から言葉をかけられるほど怒られ続け、それ自体に落ち込んでいたら修行にならないと割り切るほどのボンクラでした。


当時は自分が言われた作業が出来ないから、仕事を身につけるのが遅いから怒られるのは仕方のないことと思っていたのですが、いざ、自分が教える側に立ったとき「あれ?怒る前に、相手の能力に合わせた的確な指導をすれば怒る必要ないんじゃぁないの?」と気づいたのです。


適正な指導をしていないのに出来ないといって怒る。それに対して「怒る前にちゃんと教えろよ!」と声をあげたっておかしくはないはずです。


特に現在のように仕事の効率化が必要であるのなら、的確な指導で早く熟練者を作り上げるのも職人の大切な仕事の一つであるべきです。


以来、自分の調理場では修行中の板前見習を、仕事が出来ないことで怒ったことはたぶん一度もありません。怒る前に「お前がその能力を把握した上でちゃんと教えているか?」と振り返るようにしています。


さらに言えば、ちょっと上の先輩くらいに意味なく怒鳴られることで生じるのは恨みだけです。さらにさらに言えば、怒鳴り声が日常となっている調理場の雰囲気は必ずお客様に伝わり、緊張感と言うよりはギスギスした雰囲気が店全体に行き渡るのです。


超高級店でのカウンター内で主人が常に小言を言っている店の居心地は決していいものではありませんでした。別の店では親方が弟子を蹴っているのが見えてしまう。さらに別の店では調理場の怒鳴り声が客席にまで聞こえてくる。。。。全部ミュシュランの☆を持っている店でのことです。


料理が美味しいことがこれらを帳消しにしているのか?私はそうは思いませんでした。


こと料理に関して言えば、修行と言われる時期に覚えるべき作業の数々は、適正に教え、数をこなせば(これが一番大事)あらゆる人がすべて身につけることが出来る作業ばかりです。怒られなければ覚えられない仕事ではないのです。


一流の職人の仕事はそこから先、[料理が美味しく作れる]を全体のほんの一部としたトータルな料理店の切り回しに関わることなのです。そこに気づいて本気になれる一部の料理人が一流店に近づけます。それこそが現代の本当の職人。


んで、怒らないで育てるとうのが正解あったのか? そこン処はまた後日。