戦前のお酒にまつわる事情


中島京子さんの「小さいおうち」で描かれる戦前の姿は、私たちが想像していた。。。というのか、植え付けられた。。。(というかむしろ単に誤解していただけかも)姿とは違うものでした。


私自身もこの15年くらいでやっと暗くて押さえつけられた庶民の暮らしとか、軍部の独走が主原因の戦争突入という幻想から抜け出せたくらいなのですから、実際に知らない昔を正しく認識するというのは至難の業なのです。


同じことは日本酒にもいえます。


残念ながら未だに戦争前の日本酒にまつわる事情を詳しく 面白く書いた著作に出会ったことがありませんし、語ってくれる方も周りにいらっしゃらないので、想像の範囲を超えることはできません。


が、
総じていえるのは、こと食については「昔はよかった」「昔の味はこんな風ではなかった」の懐古趣味はほぼ幻想だということ。


第一、原料となる米は、政府の統制下にあることが長く続いていました。私自身「米穀通帳」の記憶がありますし、戦後でも蔵が使える原料米は厳しく制限されていて、需要があるからいくらでも米を手に入れて作れたわけではありませんでした。


また、これが実に悩ましいのですが、お酒は(今もそうであるように)重要な税源でありました。戦争前の長い期間、所得税よりも酒税が上回っていました。日清戦争は日本酒で戦ったというほど酒税がたよりであったとも聞きます。原料がおカミの手のもとにあるというだけでなく、お酒そのものが大切な税金のもとであることが、「美味しいものを造れば需要がある」という現代の感覚に結びつくわけがありません。おカミが関与して夢の世界が誕生したことなどありえないことだけは今も昔も間違いなく言えるはずです。


さらにいえば、お酒造りは現代のように安定的に生産されるものではありませんでした。以前に読んだある資料では毎年10%は失敗することが織り込み済みであったと聞きます。酵母の働きが解明され、管理ができるようになった現代とは違い、生き物である酵母を操るのは杜氏の経験だけがたよりで、数値化されていたわけでも、経験が全国区で共通認識であったわけでもありません。全国に万の単位で存在した酒蔵(今では1500蔵に減っています)のレベルが全体に高いはずもありません。杜氏が造りに失敗し、蔵全体に腐敗した酵母が蔓延して杜氏以下が夜逃げしたという事実や、その蔓延は数年にわたって蔵に影響を与えていたというのです。バイオ技術の欠片らもない時代ですからそれらは容易に想像できますね。卑近な例で言えば、ぬか漬けを想像してみてください。自宅でぬか床を作ったことがある方ならわかるでしょうが、比較的強い菌であるぬか床でさえ安定的に味を育てることって難しいのです。酒母であればなおさらのこと、お酒が生き物であることを知ると操ることの困難さはよく理解できると思います。


そういう不安定で難しい酒造りにアルコールという魔法の一滴(実際は一滴ではありませんが)を投入することで、酒質が安定し、壊れるかもしれないその年の造りを持ち直すことができたとすれば使わない手はありません。その時代に「純米=正統」「アル添=邪悪」などと思うわけがありませんし、成分の表示義務があったわけでもありませんから天の恵みと思っても不思議ではないはずです。確かに戦争の厳しい時代を経てアルコール添加がその後も長く主流になった悲しい現実はありますが、かならずしも「儲かるから」と「楽ちんだから」という理由だけでアルコール添加が始まった訳ではないのです。


話は少しそれますが、現代人が大好きな淡麗辛口のお酒はアルコールの添加と、炭濾し(炭素濾過)という工業的な手段によることも多かったのです。純米だから辛口 純米だから淡麗・・・はあり得ません。


もうひとつ。戦争前の日本酒の多くは、これも現代人の大好きな、地産地消でした。地元のお米を使い、蔵付きの酵母を使い、地元で造ったものが地元で消費されていました(灘や伏見一部のお酒は大都市圏で消費されたようですが)どんな小さな町にも酒蔵の一軒はあった時代です。ただし、全国各地それぞれで山田錦をはじめとする酒米を造っていたわけでもありませんし、酵母の優れたものがそれぞれの地域で育てられていたわけでもありません。杜氏の技術も人材も全国に流通したわけでももちろんありません。地産地消はその時代美味しいものの代名詞ではなかったのです。あの場所のあのお米と、あそこで使っている酵母、あの有名な杜氏さんを連れてきていい酒造りを・・・なぁぁんて考えるなんて夢の又夢。発想さえ生まれるはずもありません。地元で造られるものだけがお酒で、それらを普通に酔うために飲むこと以外選択肢がなかったのです。


以上のようにネガティブなお話ばかりしてしまいましたが、日本酒の歩んできた道を知らずに、今だけの感覚で「戦争前は純米しかなかったのだから日本酒は美味しかったはず」とか「地産地消で造られていたお酒が不味いはずはない」などと思ったとしたら、それは「無農薬だからこの野菜は美味しい」とか「地産地消の料理が不味いはずがない」というのと同じレベルの誤解だと思うのです。


とはいえ、これらは断片で知った薄っぺらな知識で想像するだけのお話です。「異論あり」とか「正しいことを教えてやる」という方、是非ご教授を。