日本酒〜昔のことを考えてみた


先日、40年に渡って第一線で業界を引っ張ってこられた仕入れ先の酒屋さんのお話を伺ってきました。


そこで知った思わぬ事実。



「日本酒は二級が美味しい」と未だにおっしゃる年季の入った飲み手がいらっしゃいます。私が日本酒に関わり始めたころにはお酒にはこの等級制度がありました。


二級 一級 特級


それらは現在のように数値の違いではなくて、税金の違いであることは知ってました。そして、その等級は蔵からの申請を受けてクラスを認定すると言うことも知識の中にあったのですが、そのクラスは検査官の舌だけで決められていたのだそうです。


蔵元から「このお酒を特級に申請をしたいと思います」と提出されたものを国税の検査官が飲んでみて「よし!特級」そして、税金が二級酒よりもたっぷりと納められるというわけです。その審査の基準はどうやら舌の主観だけであったらしいのです。


等級は蔵元の思惑でつけられ、精米歩合とか、内容成分で決められていたわけではないのです。つまり三増酒であっても申請が認められれば特級になりえるのです。もっとも、その当時はまだまだ大吟醸 純米への高い意識が広まっていたわけではありませんから、アル添酒だから特級の申請が受け付けられないということなど全くなかったのです。むしろ純米の特級を私は知りません。


それを逆手にとって二級酒でも特級並みに美味しい。。。と宮城の一の蔵が「無鑑査本醸造」を世の中に問い、話題にもなりました。それでも問われたのは本醸造酒です。純米でなければ酒とは認められないという今時の頑なファンはがっかりするかもしれませんが、それは昭和52年のお話、たった35年前でもそれが日本酒をとりまく事情でした。




ちょうどその頃、地酒ブームがあって、私も新潟のお酒を手に入れたいと近隣の酒屋を歩き回っていました。


ある酒屋で置いてあった「雪中梅」 市場で手に入れるのは難しいお酒でしたから飛びつくように購入しました。置いてあったのは二種類の雪中梅でした。


「この二つ どう違うんですか?」の問いに酒屋さんはまともに答えられませんでした。雪中梅を通常価格で店頭に置くくらいですから酒屋さんのレベルは当時としてはかなり高いのです(置かれていた他のお酒もすばらしかった) 今の知識を持ってすれば、片方が普通酒で片方は本醸造であったと思われるのですが、私はもちろん、高いレベルの酒屋さんですら、普通酒本醸造の明確な違いを語れないくらいであったのです。当然のように普通の街の酒屋さんであれば、ナショナルブランドさえ置いてあればいい酒屋という時代です。今では常識として酒の種類や造りの違いは酒屋さんも料理職人も認識しているでしょうが、昭和50-60年代には三増酒本醸造 純米酒を知る専門家さえ少数派であったのです。


ですから、「三増酒 けしからん!」「純米にこだわるべき」などという見識をもつ人などいようはずもありません。ちょっと前のその時代の空気は伝えるべきだと思うのです。