負けること


「どんなものでもいいから一番になってみろ」「負けず嫌いが人を成長させるのだ」


若い頃そういって叱咤激励されたことが何度もあります。


激励ならいいのですが、「だからお前はダメなんだ」のニュアンスたっぷりでした。


そんなこと言われたって、才能もないし、努力も嫌いだし、まわりのぬきんでた連中にどこかで勝てたことなど人生で一度もないし。。。。


そう、努力の結果一番になったことなど一度もありませんでした。


今にして思えば、”「一番になれ」っていったお前はどうなんだ!”と言ってやればよかったと思います。


ですから、一番になることが目的ではない今の仕事がとても居心地いいのです。




が、一番にならなくても、日々失敗はたくさんあります。


MBAイチロー氏がインタビューで「2000本の安打の思い出よりも、4000本の凡打三振の苦い思い出のほうがずっと心に刺さっています」というようなニュアンスのことを語っていたことがありました。


一番の象徴のようなイチローでさえ、栄光の思い出よりも失敗の思い出に苦しんでいるのです。同列で語るのはあまりにもおこがましいことですが、私だって日々いただく「美味しかったよ」のお褒めの言葉よりも、皿に一切れ残った料理を見るほろ苦さの方が心に残ってしまっています。栄光の頂にいるかのような人間も地を這い回るように生活している人間も心の有り様は似ているのかもしれませんね。




さて、浅田真央ちゃんの決定的な失敗です。


男子の羽生君が金メダルをとったときから日本中が「真央ちゃんは大丈夫だろうか?」「失敗はしないだろうか?」と心配満載であったと思います。私のように普段あまり五輪自体をあまり気に留めていない人間でも、同じ年頃の子を持つ身として娘を気遣うようにただただハラハラしていました。種目の性質もあるんでしょうね。


「金をとって欲しい」というよりも「金をとらせてあげたい」の気持ちの方が強かったのです。


そして手痛い失敗。


でも、誰も彼女をののしり悪く言う人間は見当たりません。むしろどうやってこの事実に接していいのか国中がおろおろしているかのように見えます。


それほど彼女は皆に愛されているのですね。


門外漢の私でも、一生懸命だった娘を見守る父、、、ではないにしても、少なくともご近所顔なじみの魚屋のオッチャン。遠くから気をもみながら見守ります。