昔の家めし


自身の体験だけで時代を語り総括するのは危険なことであることはもちろん承知していますが、現代の感覚で過去を同列に語ることも危険であることは再三言ってきました。


私自身は「ちりとてちん」の再放送を見るのに忙しくて、話題の朝ドラ「ごちそうさん」はほとんど見ていないのですが、ファンの間では、お母さんの作る料理が家族を幸せにするという幸福感を讃えている方が多いと聞きました。


確かに料理上手のお母さんが家族を幸せにするというのには全く異論はないのですが、「ごちそうさん」の時代まで遡ることはできなとはいえ、戦後 昭和30-40年代には食生活は現代とは比較にならないほど貧しいものでした。


あくまで私の周りのことだけなのですが、食材は地元のものがほとんどで、お総菜の中心は野菜でした。しかも、夏は茄子と胡瓜ばっかり、冬は大根や蕪、白菜ばっかり、毎日それが続くのです。いわゆる「茶色いおかず」が中心でした。お肉はごちそうであったのです。(現在なら地産地消 季節の野菜だけという贅沢と言われるでしょうが、毎日同じ食材というのは食事を楽しくしません)


周辺地域に育った同級生は「近所に肉屋なんてなかったから、カレーはシーチキン入りしか食べてことがなかった」といい、別の友人は「すき焼きは豚肉が通常だと思ってた」と語りました。


つい最近、「女性は家庭にあって家族を守るもの」という趣旨の発言で物議をかもした方がいましたが、私が育ったのは街の中心部で、周りは商家ばかりでしたから専業主婦なんていませんでした。お母さんは皆店に出る大切な働き手でしたから、家族のご飯に手間暇かけていることなどできませんでした。家めしがやっつけであったとしても誰も文句は言えません。ご主人がサラリーマン、奥様は専業主婦なんてハイソ・・・という意識が強くありました。昭和30年代、「オールウェーズ」の時代のことです。


ですから、休日の食事はそれなりに豪華でも(すき焼きがごちそうで多かった記憶があります) 日々の食事が楽しくて美味しいという記憶はほとんどありません。それでも戦争経験者の父は、「おなかいっぱい食べられることの幸せをお前らは知らない」「ひもじいという知らない」とよく言っていました。



家庭の料理のバリエーションが豊かになり、各国の食材、各国の料理が一般家庭に浸透したのはそれほど昔のことではないのです。


いうまでもなく、健康のための食事とかダイエットのための食事などという考え方が表れたのも1980年代以降ではなかったかという記憶があります。


今現代の食環境の水準で昔を思ってしまうと、「パンがなければケーキを食べればいいのに」というマリー・アントワネット的心象で過去を語ってしまう可能性もあります。


とはいえ、これらの記憶はあくまで私の超私的なものなんですけどね。