心筋梗塞その2


心臓のカテーテル治療が無事終わり、集中治療室に移されたのが深夜過ぎ、意識ははっきりしていますし、治療が成功した安心感もあって、つまった血管さえ通ればすぐに退院できるものという淡い期待をもったのもつかの間、心臓は私が想像するより遙かにデリケートな臓器であることを翌朝主治医から知らされました。


術後の心臓の働き具合を慎重に見極め、血圧の管理、血液の動きなどを追い、順調に経過したとしても、心臓リハビリを徐々に行って日常生活に耐える力をつけなければならないのです。数日で退院などありない・・・と。


ともかくも集中治療室の10日間は起き上がることはもちろん膝さえ曲げられない状態が続きました。腰痛持ちには同じ体勢で寝ていることのつらさはかなりのストレスになります。


それよりなにより、最低三週間(さらに退院してもすぐに仕事は無理と告げられました)、店を休まなければならないことが決定し、年末最後の忘年会の予約と新年早々の予約、たくさん頂戴してあったお節料理のご注文をお断りしなければならない苦痛の連絡のことを思うと腰痛のストレスを遙かに超える精神的ストレスで夜が全く寝付けません。


なにしろ料理だけでなく事務仕事もほとんど私がひとりでこなすのが当たり前の小さな店ですから、私がベッドの上ではなにも進みません。それを東京から駆けつけてくれた息子娘たち、連れ合いがベッドからの朦朧とする頭の私の指示をもとにPC なぐり書きのメモを解読しながら時間をかけてこなしてくれました。いつまでも子供扱いしていた我が子達が父親よりもずっと高い事務的能力を発揮してくれたのはなにより心強いことでした。



90年間の営業の間、店主の個人的な都合で店を長期に休んだことは一度もありませんでした。思い出しても両親の葬儀に1-2日くらい。風邪をひいても熱が少々あってもお客様の前に立つときには何事もなかったように接するのが当たり前の商売です。夜更かし 飲み過ぎ 遊びすぎなどという自己管理が出来ない所業をもっとも嫌っていたのに、自己管理の最たるものであるはずの大きな病気をえてしまったのは私にとって痛恨の極みでした。


父が同じ病気で亡くなっていますので、循環器の専門医によるケアはもちろん、睡眠時間も、食事も、日々の運動もこなしていたのに、父から受け継いだ店を取り回して20数年、どう考えてもは「規則正しく働き過ぎ」ていたことは否めませんでした。毎日14-16時間の仕事を普通に四半世紀以上続けていればどこか壊れるのが当たり前なのですね。しかし、経営者としての能力が著しく劣る私には、地方で今のような店を成り立たせるためには愚直に働きすぎるしか方法がなかったのです。


ともあれ、大切な予約のお断りの連絡でお叱りの言葉や嫌みのふたつやみっついただいて当たり前と思っていたのにもかかわらず、すべてのお客様からいたわりとお見舞いの言葉を頂戴し、ある方は直接ご心配の電話を、ある方はお見舞いのお花、ある方はありえないありがたいご提案、ベッドの上で子ども達からの報告に胸が詰まるような思いを何度もしました。お節料理もお座敷のご予約も8-9割がお得意様で構成されている店のあり方、「愚直」にお得意様に接してきた長年の店のあり方は倒れてしまったけれども一面では間違ってはいなかったのではないかと思う瞬間でありました。


それでも年末年始 お節料理も含めた営業の損失は通常の二ヶ月分を超えるものです。たとえ身体が順調に回復しても店は存続できるのか?厳しい経済状況の中、ベッドの上では負のスパイラルが頭の中をめぐります。