心筋梗塞


昨年、12月22日日曜日のことでした。


フィギュアスケートNHK杯 最終グループの演技が始まろうとするのをぼんやりと見ていました。そろそろ安藤美姫・・・というとき、胸にこれまで感じたことのない痛みが襲いました。


大概の痛みはしばらく横になっていれば治ると安易に考えるものですが、その痛みは次第に増し、脂汗が出てきたのです。


これは何か変だ。。。


横にいた連れ合いに「ちょっと変。近所の救急センターか、救急車か、どうしようか?」と。とりあえず店からさほど遠くない夜間救急センターに足を運び、症状を受付に伝えると、大勢待っている患者さん達をさておき、心電図、即救急車搬送で総合病院に運ばれました。



急性心筋梗塞




父が亡くなったのと同じ病でした。


運ばれた病院ではすでにカテーテルの準備がなされていて、待つことなく手術室へ。


冠動脈の一部が完全につまっていたのですが、処置をいち早くしていただいたおかげで一命を取り留めました。





処置をする間も痛みはかなりひどいものの、意識ははっきりしていましたので、私が駆けつけたときにはすでに間に合わずに事切れていた父の姿がまず頭に浮かんでいました。


「このままあの世に行くとしたら苦しむ時間が少ない分それはそれでありがたいかなぁ」と思いつつ、よく言う人生「人生が走馬燈のように」というなど全くなく、「明日のお節料理の仕込み 栗きんとんが出来なかったら次の日の段取りが・・・」とか「まだあの仕入れの電話がすませてないぞ」などと現実的な問題が次々と頭に浮かぶのです。


数十分?一時間近く?を経て「無事患部を特定して血栓が除去できました。大丈夫ですよぉ。まだ処置は続きますが」という先生の言葉に。


「ああ、助かったぁ」と胸をなで下ろすと同時に「これでお節料理の仕込みに間に合うかも」とのんきなことを考え始めていたのです。


もちろん血管が通ったからすぐに退院できるはずはなく、10日間は全身に管だらけ、膝を曲げることも、寝返りを打つことも出来ない集中治療室での管理が続き、その後のリハビリも含めて一ヶ月弱の入院生活を余儀なくされました。


しかし、命あってのモノダネ。夜間、週末の心筋梗塞は死亡率が高いといわれる中、全国に誇る浜松方式の救急医療体制http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/koho2/pr/shisei_info/1201/2.htmlのおかげで生き延びることができました。


お得意様の脳外科医がおっしゃった「倒れるなら絶対浜松で」及び「憎まれっ子世にはばかる」が見事に証明されてしまったのです。


続く。