酒造りの迷信その4


酒造りのリーダーである杜氏さんは長い経験がものをいう仕事でありました。われわれの仕事と同じく一年や二年の経験で美味いお酒ができるわけがないと信じられていますし、事実名杜氏といわれる方々は比較的高齢の方が多いものです。


経験豊かで老練な職人である杜氏だけが銘酒を造ることが出来る。これも迷信になりつつあります。


蔵元と杜氏の関係も昔とは変わってきました。蔵人のなり手不足と杜氏の高齢化によって小さな蔵では杜氏を雇わずに、蔵元が自ら酒造りをする蔵が多くなってきました。三十年以上昔であれば、小さな蔵でも杜氏は必ず雇うもので、蔵元が直接造りに参加することは希でした。今注目を集めている若い造り手は、蔵元もしくは蔵元のご子息(次代の蔵元)が杜氏を兼ねることが全国あちこちで見られるようになってきたのです。


杜氏が高齢で引退し後を任せる杜氏が見つからない。そこでそれまで酒造りを次ぐつもりがなかった息子が、「じゃぁ俺が。。。」と蔵に帰ってきたというケースがよく見られます。帰ってきた後継者は桶売り主体、拡大路線が裏目に出て瀕死の蔵を建て直すために、自分自身が美味しいと思うものだけを造る志を持って新たな試みをはじめています。杜氏がいなくて古いしがらみがない分、自由な発想で大胆な酒造りを成功させている方々もいます。


例えば十四代、飛露喜、醸し人九平治(杜氏はいらっしゃいますがこれまでの杜氏とは違います)、國香、達磨正宗、喜久酔、杉錦、数え上げたらきりがないほどたくさんの若い蔵元が、杜氏を使わずにいいお酒を自ら作り始めているのです。しかも20代30代で杜氏に就任されている方がいます。村祐に驚いたとき、造り手はまだ28歳でした。




われわれ料理店でも同様なことがそれ以前に起こっていました。蔵元と同じように、ちょっとした規模の料理店は調理長を雇うのが普通で、店主が調理場で包丁を握るケースは少なかったものです。特に老舗と言われ、ある程度のキャパシティがある店ではそれが当たり前でした。しかし、バブル以降のことでしょうか、周りを見渡してみると、名店と言われる店は主人が包丁を握る、オーナーシェフばかりです。雇われの調理長が店の看板となるケースでは、オーナーはできるだけ影の存在であろうとします。つまり「○○が調理した」が大事な世の中なのです。昭和40年代まではほとんどないケースでした。




息を吹き返した蔵では、蔵元自ら造りを始めた場合がとても増えています。自分の責任で美味しい酒を造る、自分の手でお客様に召し上がっていただくものを造るという料理と同じように、お酒も料理もそこん処の責任感と意識でできあがるものは全く違うというのは実体験でよくわかります。


造り手の顔が見えるお酒の安心感と美味しさはこれからの次代の定番となるはずです。老練の杜氏と蔵人集団だけが日本酒を造ることができる・・・ってのが、迷信となる時代はすぐそこまできています。