映画「はじまりのみち」


映画「はじまりのみち」はアニメーション監督として名高い原恵一さんの初実写映画です。


原監督のクレヨンしんちゃん『オトナ帝国』『戦国大合戦』の二作品をDVDで観たときの驚きは、「風の谷のナウシカ」や「サマーウオーズ」を観たときと同じくらいの衝撃でした。「クレヨンしんちゃん侮るべからず」という定型を遙かに超えたところで原恵一さんの力量に度肝をぬかれたのです。


初実写とはいえ、原作品、しかも全国レベルでは上映館が極端に少ないと聞くのに、映画の舞台が浜松とその近辺、木下恵介のふるさとであるがゆえに、近隣のシネコンすべてで上映しているという僥倖に浴さないわけにはいきません。


映画は90分の短尺。主人公である木下恵介監督が映画「陸軍」で松竹とぶつかり、辞表を出して故郷浜松にもどります。病に倒れた母を、戦争末期、リアカーで山奥まで疎開させる。。。。「見所をどこにもってくるの?」と思うほどの単純なストーリーと聞いていたのに、そこには映画に必須な涙と笑い、家族愛。さらには映画愛、木下恵介愛、映画的感動が凝縮して詰まっています。恐るべし原恵一


脚本と撮影、編集、役者人の素晴らしさもさることながら、地元人だけが理解できる遠州弁の細かなニュアンスを緻密にくみ取っているのには驚きました。昭和20年当時、しかも浜松と北部の気賀、気多の地域の方言という処まで手抜きがないのです。TVドラマなどでやっつけの遠州弁を聞くといたまれないほど方言にコンプレックスを感じてしまうことがあるのですが、このように正確に表現されていれば恥じ入ることなどないのですね。斉木しげるさんは地元出身ですから当然とはいえ、濱田マリ 光石研のやりとりなどそこだけ切り取って永久保存テキストにしたいほど素晴らしい。


映像では、リアカーで雨に濡れて汚れた母親の顔と髪を息子木下恵介が、濡れ手拭いと櫛で整えるという短いシーンは格別に心に残ります。それは木下恵介の映画監督としての資質を端的に表す名シーンというだけでなく、原恵一という名監督の資質も見て取れる白眉なのです。さらに河原で学校の女教師と子供達のやりとりを遠目に眺めるシーンは「二十四の瞳」のきっかけを思い起こさせる美しいシーンに。木下作品は「二十四の瞳」「カルメン故郷に帰る」しか観ていない薄情な同郷浜松人でも、原恵一監督の木下作品への思い入れの深さを感じ取るには十分です。


実をいうと、映画に登場する木下恵介の実家である「尾張屋漬物店」は戦争前の浜松街中、江間殿小路にあって(現在の弁いち付近)、私の祖父が始めた「弁いち」とは四軒ほどの隣というほど近所にあった間柄であったのです。ですから、祖父母、父などがこの映画を観れば涙を流して懐かしがったはず。


同じ時代のライバル黒澤明を我が糧のように観ているというのに、地元近所、目と鼻の先に育った浜松の誇り木下恵介作品をほとんど観ていないし、その素晴らしさを全く理解していなかったことを、この映画の原恵一さんの木下恵介愛の深さで改めて悔いています。


さっ、観るぞ!木下映画。



はじまりのみちとは編集