アマゾンレビューと食べログ


佐々木俊尚さんの新刊「レイヤー化する世界」を大変興味深く読みました。


与えていただいた示唆がたくさん。毎回これほど知的な好奇心をそそられるジャーナリストの著作は多くはありません。


ところが、アマゾンレビューを見ると☆2.6・・・と。便所の落書きに気をそそられるのもやなもんだと思いつつも、私自身がわくわくした本の評価が芳しくないことにイライラします。もちろんざっと読んでも「評価」にも値しない戯れ言、というか、力のあるジャーナリストの言葉をざっと読んで、幼児が食べ物の好き嫌いを気分で言うように「僕これ食べれないぃ」とだだをこねているようなもんで、安易な評論家を気取った態度は、匿名を盾にした下衆のつぶやきにしかみえないのであります。だいたい批評しようという本の題名を間違えて入力するような粗忽者にゴリッパいってほしかぁないぜ、と佐々木ファンは思うのです。


自慢じゃぁありませんが、佐々木さんの前々著作「キュレーションの時代」は三回、前著作「当事者の時代」は二回読んでも理解したとは全く思っていない私程度の読者が、今回の「レイヤー化する世界」は初回の通読でも比較的わかりやすい構成になっているとは理解できるものの、それについて公に論評するにはさらに重ねて読み込まなくては無理と感じています。公に人様の力作について語るというのはそういうものなのです。


ありえないけど、佐々木さん自身がアマゾンレビューアー達に「そこのあなた、じゃぁ、公開で討論しましょうよ」と問いかけたとしたら、ゴリッパな言葉を発した当事者達はすごすごと逃げることは請け合いです。それはtwitter上で佐々木さんの批判を続けた連中が顔を明かされたと同時に態度ががらりと変わって下出に出たのと同じ構造のはずです。匿名の発言というのはその程度のものなのです。


同列で語るのはおこがましいのですが、食べログのレビューもレビューアーのレベルと言葉は同質であると私は感じています。


ことは飲食の関連ですから、自分への書き込みでなくても悪辣な言葉や、丹精込めた料理を低レベルの写真で公開する姿に瞬間湯沸かし器のように爆発してしまう私なのですが、ペンを持つ方々はアマゾンレビューにイライラしていらっしゃらないのだろうか?と不思議に思います。


海堂尊さんは「netの批評は見ません」とおっしゃいました。磯田道史先生は「たまに見ますよ。へーー、こんなつまんないこと書いてるんだぁ。。。ってね」とおっしゃいました。


職人も作家も同じ人間。自分に浴びせられた営業妨害とも言える匿名のnet発言を快く思わない気持ちはきっと変わらないのでしょうが、私のように「アマゾンレビュー 食べログレビュー 最低!」と声に出していってしまわない端然とした落ち着きと自分の仕事への絶対的な自信、持ってみたい。そして、文字の世界ではそれ自体が文学として成立している読むに値する評論が存在しているように、食の世界でもそういう評論が現れて欲しい。