右か左か?


人生には、社会的にも個人的にも大きな決断が必要なときがあると言われます。


右なのか左なのか?


二三度ちらっと見ただけなので、大きなことは言えませんが、ハーバードのマイケル・サンデル教授の白熱教室というのも、右をとっても左をとっても難しい選択を提示し、「さて、どっち?」「んで、その理由は?」と問い、議論を沸き立たせているみたいです。


以前によく言われた「究極の選択」というのも同様の選択を相手に迫るんですよね、確か。


これが私にはとっても居心地が悪いんであります。人生半世紀以上生きてきて、右か左かなんていう真逆の選択を迫られたことは・・・・たぶんありません。ましてや、どっちかを選ぶことが人の生き死にを左右する場面なんて100%ありませんでした。


のほほん、ぼんやりと生きてきた私だけのことかもしれませんが、一応曲がりなりにも企業人としても一つの会社を長い間やりくりしてはいますが、「ここで選択を間違えたらえらいことになる」などという場面が果たしてあったか?


ありません。


やってきたのは右か左かではなくて、「ちょっと右寄りの真ん中くらいかなぁ・・・。」「今回は左寄りかも、でも間違ってたら右ね。」なんていうきわめて揺れ動く宙ぶらりんな選択ばかりであったような気がします。大体右か左かを選ばなければならない状況に陥る前にじたばたと様々な対処をしてこそよたよたなりにやりくりできるもんなんであります。


目を大企業に向けても「プロジェクトなんとか」とか「情熱なんとか」で取り上げられる立派な方々も、メディアの色眼鏡を通してみると「大決断」の結果「劇的な成功」があるように見えるだけで、同様の色眼鏡を濃い色でつければ、100人の社会人に100通りの「大決断」「大成功」が現れてくるもんなんでありますよ。


アメリカ流の「左右の選択」と「ディベートのための議論」を日本人が身につけなければ生きてゆけないのか?メディアの流行にあおられて「だから日本人はだめなんだ」とあたふた慌てる前に、「私たちのやり方だっていいじゃん!」と大きな声でもの申したっていいんじゃぁないですかねぇ。