ものの価値〜その2


昨日の続き


くれぐれも くれぐれも誤解のなきように申し上げておきたのは、価値がわからなければ店を利用すべきではないとは思っていないということ。


店の側がお客様に提供していることをすべて理解するというのは不可能です。というよりも、100%でお客様をもてなしたとしても、その60%分にだけ満足していただいても十分なのです。そこで「どうです!この100%を全部理解してください」と押しつけるのは料理店としてあってはならないことです。お客様に心地いい部分だけを心地いいように使っていただくことが基本です。


ですから、自信を持ってお出ししたワインの美味しさを理解していただけなくても、器の価値を理解していただいていなくても、たとえば料理のうちの赤むつの美味しさだけに反応してくださったとしたら、それは店にとっては大成功なわけです。そして、それは日々、毎日、当たり前のように繰り返されています。


「いやぁぁ、今日の日本酒は美味しかったなぁ。。。あんなの初めて飲んだよぉ」とお帰りの際にお言葉をかけていただくことがあれば、心の奥底の方では「あれ?料理は??だめ???」(料理人なら誰でも思うことです)とほんのちらっと思ったとしても、店自体を楽しんでいただいたことは間違いないわけですので、大喜びでお客様をお見送りするのです。



ただ、ものの価値を理解する能力が深ければ深いほど楽しみの範囲は広がります。


極上素材を使った料理を食べた経験値、日本酒ワインの奥深さを知る能力、器お軸などを鑑賞する審美眼、ゆったりとサービスを受けるための素養。それらは一朝一夕で身につくものではありませんが、体に備わっていれば味わったときの感動はより深くなります。


感動の蓄積というのは知識としての蘊蓄をたっぷり持っていることではなくて、人格の中に秘められるものです。長い間この仕事に携わっていると、それらの素養を身につけているかどうかはすぐにわかります。そういう方に店を評価していただいたときの喜びはひとしおでもあるのですね。


だたし、そういう深い教養を身につけた方のお相手ができるように、料理店の側も怠りなく精進することが必定なのですが。