恨ミシュラン


世界中を見渡して、日本ほど食のレベルが高い国はないといわれることがしばしばあります。


世界中各国の料理が食べられる店が存在し、食材と調理技術の水準が高く、何よりきめ細かなサービスがあらゆる店で受けられる。


フランス在住のあるお客様は「日本ではチェーン店でさえサービスがしっかりしていますけど、フランスじゃぁ客を客と思わないような店なんてそこいら中にありますよぉ。きめ細かなサービスなんて一部の三つ星クラスだけかも」とおっしゃいました。


ドイツ在住経験が長かったお客様は「日本の料理店はやっぱり総じて心地いい」と。


某有名企業のアメリカ支社長は「日本だけですよ、どこで食べてもそれなりに満足できる国なんて」




先日えのきどいちろうさんのラジオをpodcastで聴いていて、病に倒れた神足裕司が話題になっていました。別のラジオでは西原理恵子さんが。


そうだ、お二人の書いた恨ミシュラン 読み返してみよう、と本棚から取り出した三巻。こういう本は、時を経て読み返してみて初めて、その時代の空気を俯瞰で見られる最良の書となるのです。


神足さんは最初のまえがきできっぱりと言います。


「だって、ほとんどの店はまずいんだもん」と。


続いて
「これはどこかの小さな町にある近所で評判の店には当てはまりません。グルメ記事には必ず顔を出す都会を代表するような店にのみ当てはまるのです」


居並ぶ店はバブルで膨らんだ泡のような店もあるのですが、多くはあの時代も名店と言われた店ばかりなのです。


週刊朝日に連載されたのは1992年から1994年にかけて、記事では不味いだけでなく名店の名前に寄りかかった横柄なサービスにも神足〜西原という最強のコンビが容赦ない言葉を浴びせかけています。


たった20年前のあの時代を振り返ったとき、「飲食店における日本人のきめ細かなサービスは世界に誇ることができる」と言い切っていたでしょうか?


中で西原さんがつぶやきます。「これだから・・・東京の店ってヤツはさぁ」つまり東京の店ってはっきりしょうもなかったんでありますよぉ。


好意的な目で見れば文化繚乱、身分不相応であったバブルがはじけた後、飲食店は生き残りをかけて料理やサービスに磨きをかけてきたとも考えられるでしょうが、間違いなくいえるのは今のこの飲食店レベルが、日本の文化として根付き長く受け継がれたものではないということです。今の時代だけを知る若い方々が、同じ価値基準が昔もあったと思うのは大間違いです。私たち年寄りはそのあたりをしっかり正す上でも昔話をするべきなんだと思うのです。



この本を読み返して見て気づいたのは、20年の時を経ても変わっていないのはマスコミ(メディアとは言っていません)の尻馬に乗った店が美味しかったためしがない・・・ってこと。これが一番痛烈。しかも20年後、未だ多くの国民が気づいていない。