名店の愛すべきほつれ


私など一生手が届かないほど高いレベルで仕事をしているお店。憧れの料理人のお店。料理好きなら誰もが知る有名店は全国に数多あります。


私なんぞ、同業ではありますが、気持ちの上ではほとんど神格化してしまうほどの名店もあるのですが、そういう店に伺って冷静に見渡した時、「なんだ、これほどの有名店でもやっぱり同じ料理屋なんだぁ」とちらりとみえるほつれがいとおしく感じてしまったことが何度もあります。



料理はもちろん器も、お飾りもお値段も破格の超有名店では、きっと女将さんも客をうっとりとさせるようなサービスでもてなすに違いないと思っていたら、これが案外普通・・・というか、どちらかというと座持ちが悪いタイプでした。お綺麗で座っているだけでステキでお召し物もしっとり美しいんですが、座っているだけの存在なのがとっても意外。すべてにおいて桁外れな店の存在感が女将さんの普通具合でちょっとだけほっとする妙な安心感に満たされました。


別の超有名料亭でもすべてが圧倒的なのに、女将さんはどちらかというと一言多そうなタイプ。これも私にとっては店のほつれ感としてにんまり楽しかったりしました。


ある超高級カウンター割烹では、有名なご主人の講釈が一品ごとに続き店にいる間中説教されているようでした。料理ほかが完璧な店のちょっとしたほつれ、これも別の目で見れば親方の愛すべきキャラクターです。


カウンターの範疇でいえば、ある有名お寿司屋さん。一見で予約し、ひとりで暖簾をくぐったそのお店の滞在時間は30分。んで、お勘定は27000円でした。寿司の内容はもう極上中の極上、すべての仕事が素晴らしいのですが、人当たりはそう悪い方でもない私にも対応があっさり。素っ気ないというわけではないのですが、訊かれたこと以外には口を開かず、「お奨めを」で始められた寿司が淡々と出され、私はうなったり、褒めちぎったりしながらも会話の広がりは皆無・・・で、30分でした。いやな思いをしたわけでも、不味いなんて口が裂けてもいえない素晴らしい食事ではあったのですが、時間単価は人生最高でありました。私的には「こりゃいいネタ(話題)が仕込めたかも」というよこしまな心が片隅に残る食後感でありました。これも職人としての技術も店としてのレベルも最高峰・・・なんだけど、「お寿司屋さんでこれ、あり?」という疑問符も。まっ、紹介者もいない一見ですからねぇ。


別の超高級カウンター割烹では、ご主人が弟子達に常にダメだし、お小言を言い続けていました。カウンターですから全部聞こえちゃうのですね。また別の店では、お弟子さんをどなって蹴飛ばしているのが見えちゃう。修行の厳しさを垣間見るという意味では興味深い光景ですが、楽しい食事にはちょっと余計かもしれません。同業の私にとっては、あらゆる意味で勝てそうにない存在の店の微妙なほつれとして、批判というよりは「ほっとする感」に見えてしまうのです。


いま挙げた店はほとんどがTVの1時間番組で立派に取り上げられた超有名店ばかりです。TVの画面だけを見ていれば「なんてすごい存在」と思える店達も実際にはすべてにおいて完璧ではないのですね。実際に店でじたばたしている私にはそれらが名店の愛すべきほつれとして見えるのですが、net上のグルメ批評サイトでしたら十分なマイナス批判要素になってしまいそうです。


そう、あらゆる意味でいつまでも完璧なんて料理店ではありえないんですね。世界中のあらゆる店が苦労してひとつでもほつれを修繕しつつ日々お客様に向かっているのです。


最後の一つ。ここで挙げたすべてのお店は圧倒的に美味しかったことは申し添えておかなくてはいけません。いやもう、本当に圧倒的。。。なんですけどね。私なんて圧倒的でないのに、ほつれはたくさん。「愛すべき」と思っていただければ嬉しいです。