プロメテウス


映画が好きになったのは大学生時代、1970年代半ば。


もちろんヴィデオの存在は影も形もなく、ピアをマーカーで塗りつぶしながら300円三本立てに通い続ける日々が映画好きを形造りました。


社会人になって初めてロードショーに行けるようになってやっとリアルタイムで映画を観ることの楽しみに触れたわけですが、時代はまさに黄金期が扉を開けた時でもありました。


1977年にルーカスが「スター・ウオーズ」を公開し、1978年にスピルバーグが「未知との遭遇」を、1979年にリドリー・スコットが「エイリアン」を


宇宙ものだけで毎年この綺羅星が続いたのです。


「2001年宇宙の旅」が長い間宇宙ものの金字塔出会った時代に、この三本が次から次へと現れたことの驚きと喜び。これこそまさに時代と共に映画を観ている醍醐味でありました。


CGが当たり前の今、「スター・ウオーズ」を見てもその特撮と音響の凄さに驚く感動はないでしょうし、侵略者としての宇宙人以外しらない時代に、「未知との遭遇」が現した驚天動地の意外に感嘆することもありません。「2001年宇宙の旅」を筆頭に「宇宙=最先端=ハイテクの美」をイメージとして植え付けられていた時代に、「エイリアン」の「町工場的」な貨物車宇宙船のリアルさにうちのめさっることもないでしょう。


それらの驚きが作品そのものの質の高さと共に毎年やってくるのです。これこそがリアルタイムで時代と共に映画を楽しむ醍醐味なのです。


若い頃からつい最近まで、文章で読む多くの映画評は、私が新作で観ることができなかった昔の名作をたくさんとりあげて、いかに過去作が素晴らしかったかに言及するものが多くありました。曰く「アステアが。。。」、曰く「ジョン・フォードの○○では」、曰く「ゴダールが。。。」といわれても、昔のヴィデオのない時代には悔しい思いをするだけでありました。しかし、年齢を経てやっと・・・というか、「お前もか!」とお恥ずかしながら30数年前の映画をリアルタイムで観たことのお話をする時代が私にもやってきてしまったのです。あの年寄り達のよりどころが今見えるようになってきました。過去の作品が皆素晴らしかったのではなくて、素晴らしいものだけが語り継がれて残るのです。で、残った過去作はすべからく素晴らしい。同じ歴史は繰り返されます。私が「スター・ウオーズ、未知との遭遇が、エイリアンが。。。」と語るように、今の若者達は間違いなく「リアルタイムでみた”プロメテウス”」のことを数十年後にその時代の若者達に自慢げに語るのです。


ルーカス、コッポラ、スピルバーグと同じ時代を生きてこられた至福を以前に書いたことがありましたが、同じようにリドリー・スコットという偉大なクリエーターと同時代を生きてリアルタイムでほとんどすべての作品に出会えた光栄は「プロメテウス」でさらに階段をひとつ上った感じがあります。


この作品、きっとこれから後TVで繰り返し放映されるでしょうが、今、映画館で観るべきであることを強く申し上げておきます。あの「手術シーン」を大画面で観る緊張感、音響の別世界を知る驚愕、すべては映画館にしかありません。まだ間に合うぞ。