なくなればいいのに読書感想文


子供達の夏休みは最終版。泣きながら宿題の空白をうめている少年少女らの姿が目に見えるようです。


なかでも最難関、最後まで手つかずでずるずると引き延ばされる最右翼が自由研究と読書感想文。今では本好きの私ですが、小学校中学時代の読書感想文ほど疎ましいものはありませんでした。あんなものなくなればいいのに。。。と、当時も今も思います。


大体「面白かった」以外に何がかけると言うんでしょう。「そんなら教師のお手本を見せてくれ!」と今だったら大きな声で言っちゃいます。教師だって本好きがどれだけいるか、いえ、本好きと読書感想文達者とはまったく別次元のお話なのです。


この板前日記でも読書のことをたまに書くことはあっても、書評めいたお話はたぶんほとんどしていないはずです。本はたくさん読めば読むほど、文学の奥深さが理解できればできるほど、作家達の優れた才能を知れば知るほど、その作品に秘められた内容を断片でも知れば知るほど、こんな稚拙な文章しか書けない私に、同じ文字を使って語る資格があるのか?と口を閉ざして、読後の感動だけに浸っていたくなるのです。得意料理はパスタ(しかできない)自称料理好きが経験35年の料理人に挑むのと同じ感覚。


考えてみれば、読書感想文から解放された時分からやっと私は本が好きになりました。無理矢理読む、仕事のため(感想文のため)に読むことから抜けだし、面白いから読む、好きだから読むになった時初めて読書の喜びを知るのです。


やっぱり読書感想文 なくなればいいのに。


といいつつ、実は二度だけ読書感想文代筆をしたことがあります。一度はまだ二十代前半、友人の女友達が「方丈記」でなにか書かなくてはならなくて、当時堀田善衛に入れ込んでいた私は「方丈記私記」をアンチョコにして数枚の文章を書きました。結構楽しかったのは面白くて書いたから。もう一回は、息子が漱石「こころ」の感想文を書く時間がないと泣いていた時、「こころ」なら俺に任せろとばかりに書いちゃいました。これも面白かったなぁ。。。高校時代に受けた「こころ」のあまりにも素晴らしい授業が思い返され、青春を取り戻したように熱中しました。感想文を楽しんで書いたのはその二回のみ。自分のためじゃなくて、人の請負(反則だけど) しかも楽しみのためってのが大切なのか?はて??