生き残ることができるの?

NHKBS「ハイビジョンアーカイブ」で放送した「漂泊のピアニスト アファナシェフ もののあわれを弾く」は素晴らしい番組でした。


クラシック音楽に疎いわたくしはアファナシェフというピアニストを全く知りませんでしたが、彼の弾くシューベルトだけを聴いても「え?これがシューベルト??」と驚くほど別次元の音楽家でありました。ほとんどグールドを初めて聴いた時のような驚き。


旧体制ソ連で生まれたアファナシェフは、体制の抑圧という地獄を逃れ、西側には自由がある・・と亡命したものの、そこでも商業主義による大衆化というもうひとつの地獄に行き着きます。自らが望む自由な音楽を演奏できるのではなくて、センセーショナルで話題を呼び売れる音楽だけが求められるという絶望があったというのです。


このお話を聞いて前々回 前回と書いた話題と同質なものを感じました。


私の手元には若いころから買いためた食に関する本やら雑誌が残っています。手に取った昭和55年の「男の料理」には東京の有名飲食店46店の名物料理がレシピとともに掲載されています。が、その46店舗の中で今でも元気のある店と思われるのは3店舗のみ。ほかはすでに閉店していたり何年も前から名前さえ聞くことがなかったり。。。もっと最近の例でいえば、たとえば雑誌「dancyu」の5年前の記事を見て紹介されている店のうち何店舗が生き残っているのか?暗然とした気分になります。


厳しい時代にすべての飲食店の経営が難しというだけでなく、巨大産業化した飲食産業がメディアを中心とした話題つくりを必要としている傾向を東京という地で顕著にみられるのではないかと思うのです。


料理店を生業(なりわい)と考える私などには、産業化した飲食店がひしめき、コーディネーターやらプロデューサーやらがうごめき、5年で元をとる・・・ってな経済効率優先主義が跋扈する地ではやっぱり仕事を維持することはできそうもありません。もちろん東京には飲食店を生業とする方々がたくさんいらっしゃることは知っていますが、話題になってなんぼ、メディアに取り上げられてなんぼは東京だからこそという傾向は間違いなくあります。


5年や10年で忘れ去られる料理店などごめん被りたいのでありますね。(東京を偏見の目で見ているぞといわれるかもしれませんが)