出てきた旅行記その2


アメリカへ行こう!」と心に決めたものの、「ひとり旅で通じるのか?俺の英語?」という不安は当然ありました。


パッケージツアーではありませんから、何から何まで自分でやらなければなりません。学生時代の旅行で中学程度の英語でもじたばたすれば死なない程度には通じそうなことはわかったものの、小心者の私は不安でいっぱい。板前修業の休憩時間にNHK教育ラジオで「英会話教室」を二年間こっそり聞き続け、旅行の最初は現地の語学学校で勉強してみようと思ったのです。


とはいえ、現在のようにnetの情報があふれているわけではなく、留学ノウハウを伝える本や雑誌があるわけでもなく、ましてや留学の一切を取り仕切ってくれるオーガナイザーをみつける手立てもありませんでした。そんなわけで、留学の経験をもっていた友人に相談し、彼が通ったカリフォルニア オークランドにあるELSにヨタヨタの英文で願書をお願いして、辞書を引き引き申し込みをしたのでした。


さらに、語学留学のためのF1ビザも取らなくてはなりません。


それも友人に相談し、オープンチケットを持っていることを証明する書類、現地での世話をしてくれる(かもしれない)友人とのやりとりをした手紙、銀行の残高を証明する書類(英語版だったかもしれない)などなど、「アメリカに行っても私は困りません。後見人もいますし、お金も持ってます。学校の願書も提出しているし、帰りのチケットも持ってます。あちらで不法就労したり、不法に長期滞在したりすることはありませんよぉ」ということを証明する諸々をもって、ドキドキ(何しろ経験がないのですから)でアメリカ大使館にビザの申請に出かけたのでした。


ビザは発行してくれたものの、滞在期間は入国審査の時に決められると聞きそれもまた不安。今だったらそんなこと検索でチョイチョイチョイなんですけどねぇ。1979年なんて個人で行く長期旅行のための情報も、個人の留学のための情報も必死にならないと手には入らない時代でした。


よくわかったのは、短い観光旅行以外で外国に入国するのって難しいんだ・・・ってこと。自分は日本の国籍をもっていてパスポートってのはありがたいものなんだ・・・ってことでした。


それやこれやを寝る間もない修業時代にやりくりしていたのですから、いかに「アメリカへ行くんだ!」の思いが強かったのか、今になって懐かしく若気のいたりが思い起こせます。昨今の若い方々が見れば「なにやってんだかなぁ。。。」って思うでしょうが、1970年代後半はまだそんな時代なのでした。