出てきた旅行記


二十代の半ばに半年間の貧乏旅行をしました。


その時のメモのような旅行日記のようなものが本棚の上の方から出てきました。ページをめくるのは30年ぶり。懐かしい思いと、時代を象徴するように醸し出される重たい雰囲気と、稚拙な文章に恥じらう思いがわいてきました。


あの頃ブログのようなものがあって、文章を公にすることを前提にしていたらもうちょっと緊張感のあるましな文章を書けたのかもしれません。自分だけのメモとなると、本当にメモというだけで、当時の若い揺れ動く感情まで思い起こそうとするのは苦労します。


それでも断片的な記憶が、このメモでよりクリアに骨格がしっかりした思いでとなってよみがえるシーンもあります。そのためだけでもこの旅行日記を残しておいたことが私には大切な意味があります。


あの頃、大阪での修行の後、今を逃したら一生大きな旅行はできないはず。。。と、少々の蓄えをすべてトラベラーズチェックと往復の航空オープンチケット、グレイハンズの周遊チケットに変えて、このチェックをすべて使い果たしたら日本に帰ってこようとアメリカへ旅発ちました。学生時代に自由と進取の精神にあふれた4年間をすごした後にいきなり入った極めて封建的だった板前社会は精神的に重い負担でした。痛めつけられたこの心を元に戻すにはアメリカしかない。学生時代に演奏旅行で二週間すごしたアメリカが、荒れ果てた精神の均衡を取り戻す最良の地であると信じてしまっていたのでした。


あの頃若者は皆海外を目指しました。


親しい友人達はあるものはシルクロードを旅し、あるものはインドへ出かけ、あるものはアメリカへ、あるものはブラジルへ、それぞれに長い旅行をしていました。帰ってきた彼らはそれぞれに何かを得てきたようで大きく見えたのは、それも時代のなせる技であったのかもしれません。ともかくも、私にとって彼の地は選択の余地もなくアメリカでした。



旅行日記の最初のページに加藤周一さんの言葉が書き留められていました(まったく憶えていなかったのですが)


曰く


「ひとり旅」はだれでもする。しかし誰でも原則としてそうするのではない。原則としてひとりであることは、自分自身と付き合うための条件の一つであろう。自分自身とのつき合い方には二つがある。自分自身をみつめること。あるいは自分の好むものを見ること。自分自身を知れ、あるいは世界を知れ。その基本的な選択がはじめにある。一方は悩みを語り、他方は楽しみを語る。一方は深刻で、他方は諧謔を可能にするだろう。
私は今、後者をとる。必ずしも老い先の短いことを思い、つかの間の楽しみをもとめるからではない。周りの世界が私にはいよいよ珍しく、面白く、またしばしば美しく見えるからである。知らぬ外国語の文法も、まだ見ぬロマネスク彫刻も、会ったことのない女の小さな膝も、机上の薔薇の一輪さえも。
加藤周一「日本人冥利につきる事」(上野毛雑文より)


30年前の私は自分自身をみつめることに必死であったわけですが、今やっと加藤周一さんのいう自分の好むものを見るためにひとり旅にでかける楽しみを理解できるようになった気がします。



(旅行のお話、続くかもしれない)