正しい宴会のすごし方


いわゆる「宴会」の席では、ゆっくり料理を食べていてはいけないのです。


それが村社会日本の掟ってもんです。


というと、「あんなに料理を食べない人を責めていたおまえの言うことか」と非難されそうですが、本来日本の宴会というやつは料理を食べ、酒を飲んで楽しむだけの場ではなかったのです。




今日、料理組合の新年会がありました。


年末は忘年会に追われ、新年もばたばたしている料理屋の会合はいつも一月も末に行われます。集まるのは昔からの料理店と仕入業者、人材派遣会社、芸者衆、コンパニオン会社などなどです。「新年明けて今年もよろしくお願いします」といういわゆる宴会です。


そういう時私は、偉い方々の挨拶が終わり宴が始まると、料理に手をつけるのもそこそこに、ビールを持ってまずは理事長、続いて存じ上げている来賓の方々・・・とお酌をして周りひとりひとりとお話をすることを一番大切にしています。


宴会というのは挨拶をし、お酌をして、食べ飲んでなめらかになった口で親交を深める場なのです。自分自身が料理やお酒を楽しむのは二の次であるべきです。


実際今日も、私は料理はほとんど食べず、全体を回り終わるのにほぼ一時間以上、その間に情報を交換し、普段お目にかかれない方々にご挨拶をし、新たな仕入れ業者と仕事の話をします。それが一番の目的でなくてはなりません。


「宴会の料理がちっとも美味しくなかった」「全然食べられなかった」「お酒を無理矢理飲まされた」などなど、ずっと昔から否定的に宴会を語っていた人々は宴会の本来あるべき姿を間違っているのですね。無理矢理飲まされる前にお酌をして周り、お辞儀をしまくり、名刺を交換し続けるのが正しい宴会の姿なんであります。



最も宴会のいいケースがある意味結婚式、葬式かもしれません。


最近では結婚式で新郎新婦の両親は列席の皆さんとゆっくり食事を楽しんでいる姿を目にしますが、結婚式の両親、葬式の喪主家族はお越しいただいた主賓を筆頭に「今日はお忙しいところをありがとうございました」とお酌をして回るのは当たり前でした。おいでいただいた方々すべてにご挨拶をし、席について食事をする間なんぞあるはずがない・・・というのが日本の結婚式葬式であったのです。


たぶん今そんなことをしている両親、喪主はほとんどいないはず。


自分の席を温めてばかりいるようでは村社会日本では生きづらくなったモンです。「失われてしまった」という地域コミュニティーもそうやって育まれていたのでありますよぉ。




「宴会」これからの日本に残っていくんでしょうか?


因みに料理人としての私は、やっぱり料理とお酒を召し上がっていただくことに喜びを感じるわけで、宴会を諦めたのが(儲かるんですが)今の店の形態です。