行列 さらに


以前にもちょっと書きましたが、映画評論家町山智弘さんの話では、「雑誌の聚落は広告収入に頼りすぎたことによることが多い」と言います。


おしゃれ系雑誌の企画は、ほとんどすべてが広告と連動しているのだそうです。つまり、「この秋はこれが流行る」という特集企画が立ち上がるのは、広告収入を得られるアパレルだけをお目当てにすることでできあがるわけで、そこには編集者のファッションへの志が反映されるわけではないのですね。バブルの時期にはそれが顕著で、一つの雑誌に1−2億円の広告収入が得られて、雑誌自体の売上に頼る必要がなかったのだそうです。昨今の不景気、企業の広告経費が激減する中、広告収入に頼った雑誌経営をしていた出版社、出版物は当然のようになくなっていくというわけですね。


1980年代、私の頭の中の興味の多くを形作っていた雑誌”ブルータス”もご多分に漏れず、編集企画会議は、広告部門から話が始まっていくのだというのです(なぁぁんか個人的にものすごくがっかり)


雑誌読者の多くは「そりゃ、スポンサーがあってこその雑誌だから」という頭は持っているでしょうが、編集企画が編集者の情報能力とセンスでできあがるのではなくて、「まず広告ありき、それが企画のすべて」とまでは思っていないのではないでしょうか。


雑誌を見て「アレ欲しい」「これ格好いい」・・・ってのは、編集者やスタイリストの能力以前の会社の利益とお金の問題なのですね。それがいいとか悪いとかではなくて、知らなくてびっくりしたってことが私にとっては大きなことなのです。



同じような図式は食とメディアにもあるらしいのです。


たとえば東京圏のラーメン店の繁盛にはメディアを巻き込んだ行列が少なからず必要であるといわれています。つまり美味しいから列ぶ以前に、TVや雑誌で取り上げてもらう段取りをするプロデューサーらしき人がいて、お金がそれなりに動いて、メディアでの「○○は美味しい」広める情報があって、行列ができ、繁盛する。「それくらい資本主義社会であれば当たり前じゃん」と思われる方も多いのかもしれませんし、マーケッティング的に考えればきわめて真っ当な仕掛けなんだろうと思います。ついでにいえば、それらは消費者が知らないところ、感づいていても気にならないで嬉々として行列を作る食べ手が多いというのが理想的です。


話は少々ずれますが、先日NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」で料理研究家栗原はるみさんを取り上げていました。いつもながら視聴者の心をくすぐる上手い演出でしたが、私からすると「栗原はるみ」というコンテンツを作っている見えない誰かこそをこの番組で取り上げて欲しいな・・・と思ったりしていました。栗原はるみもラーメンもコンテンツとしてマーケッティングの対象なんですね。


市場原理の中では行列も雑誌の売り上げもTVの視聴率も、利益を最大目標にしたときのマーケッティングの手法の中で一般消費者が知らないところで、誰かが上手いことをやって、消費者が踊っているという構図は、市場規模が大きくなればなるほどすさまじい勢いで広まっているのでしょう。私のように、料理という仕事を生業として関わっている人間には遠く彼方の出来事のように思えます。


いい素材を見つけて、美味しいものを作りたくて、お客様の「美味しい」の一言、お帰りの時の笑顔をみたくて毎日身を粉にしている料理人達がマーケッティング的な行列に負け続けているという事実になにか釈然としないものを感じるんですね。でもそれが世の中の現実。