ラーメンのこだわりはAKB48であったのか


9年前の板前日記にこんなことを書いていました。


「ラーメンに小宇宙は存在するのか?」


あれからほぼ10年、10年前だからこっぱずかしくも書いてしまった記事を見て、時代の移り変わりの早さを改めて思い返しています。こんな「ラーメンのこだわり=かなり恥ずかしい」の図式は私の中ではすでになくなりつつあります。



先日、10月20日TBSラジオ"DIG”をpodcastで聴いて、そのなくなりつつ私のラーメン事情批判は決定的に無意味な時代であることを実感しました。


ゲストはラーメン好きなら知らない人はいない大崎裕史さんとライターの速水健朗さん。現在のラーメン事情を解きほぐすだけでなく、ラーメン店と行列に並びソーシャルメディアで発言するマニア達の相関関係もわかりやすく解説してくださっています。(まだpodcastで聴けますので興味のある方は探してね)


はっと気づかされたワードは大崎さんのいった「ラーメンは今やコンテンツですから」


ここで私はハタと手を打ちました。


ここでいうコンテンツの意味合いは。。。。ある方の記事では




「偉い人たちがコンテンツを語るときは必ずまじめな話になっちゃうんだけど、ソーシャルなコンテンツってそればっかりじゃない。


例えば私が気になっている異性がいたとして、その人が

「おなぺこ」

とか一言ぶつやくだけでキュンとくる瞬間があるわけ。


こういうのも、その受け取る側からしてみると、コンテンツがマッチしてるわけですよ。尊敬する人が新しいがジェット手に入れてはしゃいでるのをみて、自分も買ってみようかなとか、その人の考えが面白くてフォローしちゃうとか。


逆に、フォローしてみたものの、どうしても理解できない人とか、嫌だなと思う人がいるわけです。
つまりコンテンツの受け取り側によっては、それは毒にもなるし、薬にもなりえます。


これって昔でいう面白いブログと変わらないんですよね。
このブログは役に立つ!っていうブログは置いといて、このブログ面白いな!って感じるブログは必ずと言って良いほど好き嫌いがあります。役立つブログは基本的に好きか、スルーかのどちらかですが、面白いブログに関しては、好きか、嫌いかという選択になるからです。


アクが強いブロガー程、好き嫌いがはっきりと分かれます。


ソーシャルメディアはそういう「アク」が出やすいツールだからこそ、面白いと感じます。


と。




こんな意味合いでの「コンテンツ」なのかなぁ。。。。


たとえば、私はかなりの超がつくほどの音楽好きですが、「長渕剛」とか「矢沢永吉」とか「尾崎豊」とかいう方々の音楽はもちろん、生き様とかライフスタイルとかはまったく眼中にない。。。というかどうでもいい。目を向けることもたぶん一生無い類いの場なのですね。美味しいラーメンを食べることに腐心することにやぶさかではないけれど、それらにまつわる「こだわり」とか、それを語るマニア達はコンテンツとして無視していい対象なのです。
(因みに長渕 矢沢ってラーメン店主の大好物なんだとか<<<ありそうです)


さらにいえば、AKB48が総選挙をやろうが、じゃんけんをしようがそれらを「この大変な世の中にいかがなものか。。。」と批判するってこと自体いかがなものか。。。なわけで、そういういわば批判される側も批判する側もコンテンツ内の事情なんでしょうね。私にはどうでもいいけど。「モーニング娘。」の時代からもさらに世の中は変わっていることと同様にラーメンをめぐるお話も大きく変わっているんだと思います。


ラーメン=コンテンツですから   響いたなぁ。


大崎裕史さんのような優れたオピニオンリーダーがいるラーメン界は幸せです。



9年前の板前日記を改めて読んで見て、その時代の空気を自分なりに思い返し、時代の変化を肌で感じることができました。その意味でも案外この日記捨てたモンじゃぁないかも。