修行にまつわるお話


先日、以前から噂に聞いていたそば屋さんの暖簾をくぐりました。


通りから一筋入り込んだ住宅街の中にある住宅を改築したようなそば屋さんは、その蕎麦打ちの加減が見事で、脱サラ・・・というか、会社の役員を卒業して蕎麦に専念し始めたという噂通り、「専念」という言葉がぴったりくるようなこだわりを感じました。


その蕎麦は、好きが高じてを10倍ほども先鋭化させたほど、素人芸から発したとは思えない熟練した技術でした。街のそば屋さんではかえって実現できないのではないかと思うほどのとんがり方がメニューにも打った蕎麦の繊細さから見て取れるのです。


この蕎麦屋さんを薦めてくれたライターさんは、一冊の蕎麦屋さん紹介本を書くために200軒を超える蕎麦屋さんを食べ歩いたという方です。その労作を拝見すると、驚くほど「好きが高じて」系「脱サラ」系の蕎麦屋さんが多いのです。


残間里理子さんの本に「それでいいのか 蕎麦打ち男」というのがありますが、脱サラ→ラーメン屋よりも団塊の世代以降は脱サラ→蕎麦屋さんの方に志向が移っているのかもしれません。


私の場合蕎麦は大好きですが、蕎麦を食べるために遠くまで車を走らせるというほどの入れ込みはありませんので、脱サラ組の、いわゆる若い頃から名店で修業を経ての蕎麦屋さんではない方々が、どのような経緯を経て店を開店させるのかはよくわかりません。蕎麦打ちの技術を習得するためには時間をかけた修練も必要でしょうし、蕎麦さえ打てれば店が開けるという訳ではないという事実が示すとおり、蕎麦はすばらしいんだけどほかの各所がちぐはぐというケースも時折みかけます。


考えてみると、私ン処のような日本料理店では、40歳も超えてから好きが高じて・・・とか、脱サラで・・・という店はほとんど見かけません。一芸を磨くよりも幅広く(ある意味浅く)技術を身につけなければならないことがハードルを高く思わせているのかもしれませんね。これまでの料理場の慣習では料理人として一人前(店を開けるほどまでに)のには、たぶん最低でも8−10年。蕎麦打ちを身につけるのに8−10年はかからないとしても、一つことを深くという意味では、一生かけて磨く技術でしょうから簡単に比べるべきものではないんでしょうが、店を軌道に乗せるという意味では難しいのはどちらもいっしょなのでしょうねぇ。


そうやって考えてみると、寿司屋さん 鰻屋さん ラーメン屋さん・・・それぞれ何年ほどの修行が必要なんでしょう?私の場合、父が亡くなって全部が自分の肩に掛かってきたときが修行を始めてから15年目でした。んでも15年ほどでは全く自信のないボンクラであった事実が今でも心をひりひりさせます。