塩味の問題


私の修行時代、30数年前には、地方による味の格差は確かにありました。


大阪京都の方々が当時、関東をちょっと見下しつつ「東の味付けは辛くて食べられん」と言ったように、薄味の関西、濃い味の関東はその通り存在していました。実際、私が修行から帰った実家の調理場には薄口醤油はありませんでした。大正時代の東京で修行した祖父の野菜の煮物は、濃口醤油と砂糖でこっくり味付けしたものだったのです。


今のように食材も情報も全国様々なものが入手できる時代とは違い、地方には地方の料理がしっかりあって、その地に行かなければ食べられないもの、知らない料理がたくさんあり、地方地方の料理も味付けも様々であった時代でした。


現在はどうでしょう?


情報、食材、料理が様々に交差し、その地方ならでは料理は姿を消し、味付けは均一化してきています。関西だから薄味、関東だから、田舎町だから濃い味という概念は消滅しつつあります。


実際高級和食店を例にあげると、もっとも味付けの塩梅が微妙であるお椀(お吸い物)の味付けは、地域差で語る濃い薄いではなく料理人のセンスの問題の範囲になっています。東京だからこの味、京都だからこの味という区分けはできません。具体的に言えば、四人分のお椀の味付けに使う塩の誤差はおそらく小さじ1/5以下の微細な違いではないかと思うのです。それはその日の出汁の加減にもよりますし、椀たねの味付けの組み合わせによっても変わるはずです。


そのように味付けの地域差がなくなった一方、国民全体に味付けの好みは薄い塩味に大きくシフトしてます。もしかしたら世界中探しても日本ほど薄い味を好む国民はいないかもしれません。薄い塩味がいい食材の持ち味を生かすと信じられ、素材そのものの味を楽しむためには味付けは極力薄くあるべきであるという風潮は間違いなく広まっています。


確かにその手法に一理はあるのですが、私は食材によってはしっかりした塩味が食材の持ち味の骨格を際立たせるケースも多くあると信じています。ぼんやりした味わいよりはしっかりした味わいが向く食材もあるはずです。さらに言えば、そのレベルの味わいの濃い薄いは料理人の個性のひとつであると思っていただけると助かるのです。「この料理は味が濃すぎる」「薄すぎる、醤油をくれ」と薄いにしても濃いにしても、味わいの幅が極めて狭いことも日本人のキャラクターのひとつです。濃いも薄いも料理人の自己主張、個性だと思って受け入れてみてはもらえないだろうか?・・・料理人の勝手なお願いでもあるのですが。。。。


先日伺った北島亭さんの肉料理は見事に徹底してしっかりした味わいでした。あれはまさに北島さんの個性なんだと思います。この塩味だから肉の旨みが際立つのだ!・・・と皿が大きな声で主張してました。


私はあの味を濃い薄いと区分けするよりも、これが北島さんのキャラクターと懐を目一杯ひろく受け止めてみたいのです。


などというちょっといい訳じみた料理人のお話は、田舎町の濃い味で育った私のお里が知れる話題かもしれませんが。