壊れちゃったの?


言葉を駆使して仕事をされる方々は私にとって憧れの存在です。


自分には全くない、知的な作業で世の中に発信できる能力をもっているというのがうらやましくて仕方ありません。本なんぞを出版できるなんていったらもう無条件で尊敬してしまいます。



「そして殺人者は野に放たれる」という本を昔読んだことがあります。ルポルタージュとして秀逸であるだけでなく、ジャーナリストとしても能力の高い人だと一読して感じていました。(著者はご自身で探してください)


土曜日から日曜日にかけてtwitter上でこの著者と、町山智浩さんのバトルがありました。


町山さんも映画評論だけでなく、アメリカの今、新聞やTVで伝えられないアメリカの空気感をいつも的確に伝えてくれる尊敬すべき存在です。


2チャンネルまがいのその、論争にもならない果てしない罵倒は(というより町山さんは罵倒とは程遠いところで見事な対応をしていましたが)、ちょっと調べて見るとその「そして殺人者・・・」の著者の最近のいつもの所業らしく、各所に毒を吐き散らしているらしいのです。果てはとうとう、町山さんの発言をRTで書き換えてしまうという暴挙にまで発展し、論争というよりは破廉恥な改ざんと妄想に発展していきました。


これがこの方の思考の一端で、この手法が「そして殺人者は・・・」の著述作業にも及んでいたとしたら、あの本がどこまで事実であるのかを一歩退いてから見る必要があります。これはもう言葉を正しく使って主義主張を繰り広げるという作業からは大きく逸脱していますし、著者の頭の中の一部を垣間見ただけで、もしかしたら病んでいらっしゃるのかも・・・と思うほど私には異常に感じられました。


twitterというのはリアルタイムにそんな人間模様まで見せつけてくれるのです。恐ろしい。



言葉とか論争とかといえば、少し前にTVで論客として知られるある女性が、「○○さんとは先日ディベートして論破いたしました」と話しておられました。


たまたま録画でその場面を見ていた私には、論破には程遠く、お互いの主張が平行線であっただけという印象しか残っていませんでした。


ちょっと尊敬のまなざしで見ていたかの女性も、あの一言でつまらない独りよがりなおしゃべりにしか思えなくなったのです。


言葉を操るって本当に難しい。


料理にだけ自分の主張が表せる今の職業のほうがずっとまっとうに思えてしまいます。少なくとも料理に対してはうそ偽りなく真摯な態度でいられますから。


言葉で仕事をされている方々の何割かは海千山千であることをやっと認識し始めたウブな私。