風評


皆さんは震災時に情報はどのように手に入れていましたか?


私は、というと、一年半ほど前から始めていたtwitterと、つい最近始めたfacebook、一年前から使い始めたiphoneとPCでgoogleリーダーを使った様々なニュース ブログからの情報が素晴らしく有用でした。これらからの情報が玉石混交であったがゆえにメディア・リテラシーも高まり、右と左 両極端から中庸まで、さらに情報源の素性と一次情報二次情報取捨選択まで、マス・メディアからの情報一辺倒だった時代とは明らかに一線を画す時代に入ったことを実感する一ヶ月であったことを個人レベル、肌で感じました。


さて、集まった情報の何を信じて、何を捨てていくのか。。。。事は今回の震災のような重篤な経験だけ出なく、たとえば料理店情報でも同じことがいえるのかもしれないと思い初めています。


個人的な感覚な上に卑近な例ですが、TVのグルメ番組で紹介される情報などというのは、私的には東電の偉い方の記者会見レベルの信頼度。


雑誌情報が(原発事故の)政府発表レベルの信頼度。


食べログなどの個人情報の寄せ集めは風評レベルの信頼度。


つまりそれらの誰でも手に入る「あの店が美味しい」という情報は、個人的な精査が必要だと思うのです。もちろんこのお話は料理店の店主の・・・というよりはひとりの喰い意地のはった食欲の塊としてのお話なわけですが。



最近同じ町内で毎日行列ができている料理店があります。食べログでかなりの上位にランクされていることと、どうやら全国版のTVでも紹介されたりしたゆえらしいのですが、このお店の事はもちろん創業時から存じ上げていますし、まじめなご主人と働き者の奥様の二人三脚がとても好ましい店です。こんな行列ができるまでは、小さな店でそれなりにやりくりに苦労もおありであったであろうことを思うと、傍から見ていてもこの行列はもう素晴らしく嬉しい出来事です。


行列がなかった時代と、毎日行列の今、店が劇的に変化したのでしょうか?


一職人としてわかるのは、40-50才を過ぎてある日突然仕事のレベルが上がる、もしくは半年一年で別の段階にステップアップする技術を身に付けることはまずありえないということです。


いやいや、この行列の素晴らしさを考えると、もしかするとありえないことがおきているのかも?技術だけでなく、入手素材が劇的に変化知れいるのか?


おせっかいなことですが、二年ぶりくらいに頂戴して見ました。


・・・味の大きな変化はありませんでした。以前と同じまじめな仕事っぷり、対応も大人気に浮かれる事のないちょっと恥じらいと謙虚さをもった好感のもてる客あしらいです。


きっとTVの取り上げだけでなく、食べログあたりで噂が噂を呼び、隠れていた店に脚光があびたということなのでしょうね。そのあたりの噂の中で批判的な部分をみてみると、「このレベルなら東京にはいくらでも」とか「○○はいまいち」などという言葉が目に付きます。


私にいわせれば、それらの批判的な言葉は、「あなたの情報精査能力のなさ」を露呈しているだけだと思うのです。そんなことは風評レベルをみただけでもわかることです。


このお店、ご近所の私にすれば、「同じ町内にあってくれることがかなり嬉しい」というレベルで、美味いの不味いの、あの店に比べてどうだ、肉はいいけど○○は・・・などという批評の渦に巻き込んでいただきたくないお店なのです。行列ゆえの批評の多さというから脱して、いつも満席だけどまじめで好感の持てる店のままそっとしておいていただけないものでしょうか。


良くも悪くもTV情報と風評にさらされるのは店としてはあまり嬉しくはないのですから(TVにも風評にも縁のない私が言うのは大きなお世話ですが。。。)あああ、奥歯にものがはさまったような話っぷりになってしまたぁ