ザ・ファイター


BSで山田洋次監督がおっしゃっていました。


若い助監督時代 ヌーヴェルヴァーグの影響を受けていた頃には、小津安二郎監督の映画なんてバカにしていたものでした。ある日先輩助監督に「どんな映画でも芯に家族の物語を植えると骨格がしっかりしてくるものだ」と言われ、後に小津監督の偉大さや先輩のその言葉の重さに気づいたんです。


と。


アカデミー賞に多数ノミネイトされた映画「ザ・ファイター」も、ボクシング映画ながらまさに家族が芯になっている映画でした。


過去のはかない幻のような栄光にすがるジャンキーな兄、その兄と因業な母親と父親の違うたくさんの小姑姉たちに振り回されるボクサーの弟。世界チャンピオンに挑戦するようなボクサーは、すべてが管理されマシンのように鍛えられてその階段を登るものだと思っていた私には、こんなすさまじい環境、どろどろした家族関係から奇跡のように世界チャンピオンになる物語はフィクションとしか思えませんでした。が、それが実話であるからこそのこの映画の面白さなのです。


役者たちは圧倒的でした。


パブリック・エネミーズ」「3時10分 決断の時」でストイックな役作りを見せてくれたクリスチャン・ベールは、麻薬中毒患者の表情を極限までつきつめて表し、メリッサ・レオはメリッサ本人であることをしばらく認識できなかったほど下司な母親役を演じきっていました。この二人がアカデミー賞助演男優女優賞であることはねじ伏せられるように納得です。ほかにも抑えた演技と習練を重ねたであろうボクシングシーンを見せてくれたマーク・ウオルバーグ、映画ごとに別の顔になるエイミー・アダムスなど、単純な成り上がりストーリーは役者の気迫で厚みのある映像に変化しているのです。


最後の世界戦 ボクシングシーン 手に汗をにぎったのはいつ以来でしょう?下手にお涙頂戴に盛り上げるなんぞはなから眼中にない役者達の迫真の演技が堪能できる家族映画でありました。