浜松祭り中止


今夕、「浜松祭り中止」の報がmailで届きました。


昭和天皇崩御の時もお祭りは行われました・・・が、今回の震災による自粛のようです。


「今こそ自粛をやめて、経済を活性化させ、元気と義援金を災害地へ」という自粛反対の意味とは別に、浜松祭りの中止は私にとってはあってはならないことに思えます。



浜松祭り・・・・通称「凧(たこ)」は地元で長く続くお祭りです。誕生した子供の成長を願い、初子(誕生した子供)の名前をいれた大凧をあげて町をあげて祝う祭りです。


華やかなことはならない、震災地で苦労している人々を思ったら酒飲んで騒ぐなんてもってのほか・・・という批判だけでしたら、いつでもこのお祭りを止めてもいいと思います。しかしながら、この「凧」には飲んで食べて祝って騒いでだけではない別の側面があります。今では仕事も忙しく、年齢もそれなりに経て「凧」の実行部隊からは離れていますが、15年ほど前までその中心で「凧」を取り仕切ってよくわかるのは、「凧」が都会で失われた地域コミュニティの基盤になっているということです。80万人口の都市の中心部でも私が住む町には地域コミュニティが失われずにしっかり存在しているのはなによりも「凧」があるからなのです。


5月の連休に行われる祭りのために町の若者は2月くらいから活動を始め、休日には寄り合って準備をします。もちろんいっしょに飯を喰い、仕事が終われば酒を酌み交わし、住みなれた地元の幼馴染 学校の先輩後輩とのコミュニケーションが途切れずに続けられるのは「凧」のおかげです。そこで時間を共にすることで、お互いの家族のこと商売のことも認識され、町に住む人々の情報が共有されるのです。さらに、街で新しく産まれた生命を皆で祝う祭りですから、○○家に子供が産まれ、なんという名前であるのか、お嫁さんはどういう人であるのか、おじいちゃんおばああちゃんは元気であるのかは当然のことのように皆の了解事項となります。


そして何より大切なのは、「凧」で培われた仲間意識はそのまま、まったくそのまま地域防災に活かされているのです。


東海地震が叫ばれてから数十年、毎年行われる地域ごとの防災訓練を下支えしているのは地元で生活している「凧」のメンバーそのものなのです。夏の暑い日、早朝に防災訓練に市役所前に集まる数百人の多くは同じ町内の「凧」のメンバーで、他町とも「凧」で信頼関係を築いている仲間達です。そしてその全員が「凧」で地域のコミュニティを形成し、地域の情報を共有しているのです。それらは長い時間をかけて作り上げられたものなのです。


「凧」がない浜松だったら、
「さあ、防災訓練をやりますから集まりましょう」といって人が集まるはずがありません。
「凧」がない浜松だったら、
近所におばあちゃんが一人暮らしをしていることを知っている地元の若者はいまの1/5のはずです。
「凧」がない浜松だったら、
地震火災が起きたとき「あのうちには○○と○○と○○が」と助けに走る街ではなくなります。
「凧」がない浜松だったら、
町に一台づつある(浜松市全体)防災用のポンプ車を町内の若い衆が全員扱えるようにはなりません。


世界でもっとも地震防災意識が高いと言われる静岡県の中でも、この地でその意識の基盤になっているのは「凧」浜松祭りであるのです。こういうときだからこそ皆が集まってその意識を高めるときであるはずです。