石岡英子さん


最近あまり観ることがなかったNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」 石岡瑛子さんの回はさすがに録画して観ました。


石岡さんと言えば資生堂の鮮烈なポスター、「ドラキュラ」の衣装デザインでのオスカー、マイルス”tutu”のジャケットデザインがすぐに頭に浮かびます。なにしろ帝王マイルスを叱ることができる女性と聞いた時は(tutuのデザインをした時)それだけでひれ伏しそうなくらい尊敬してしまいました。


しかし思い浮かんだ物を並べて見ても、グラフィック・デザイン、衣装デザイン、アルバムデザイン。デザインと言う括りではくくることができたとしても、形で捉えることができない不思議な存在でもありました。


TV番組でみる石岡さんは、私のイメージからは遥かにかけ離れてしなやかで、柔軟、やさしそうな人であることに驚きました。マイルスを叱れるんですからもっとアグレッシイブでいつでも眉間にしわを寄せて、近寄りがたい存在なのかと思っていたのです。確かに自分を曲げる妥協をしないで、相手先と最後まで接点を見つけようとする姿は、さすがに長い間業界で信頼されてきた素晴らしい姿勢でした。しかしながら、自分を押し通すだけではないのですね。そこんところが孤高の芸術家と違うところなんでしょう。商業的な成功を勝ち得てきた女性ならではの凄みです。



石岡さんは40代で日本を離れてNYにわたりました。1980年頃NYで黒澤の「七人の侍」を映画館で観て、鑑賞後ニューヨーカー達が黒澤談義に花を咲かせているのを見てその後の生き方の指針を見つけたといいます。


実は私も同じ1980年にNYで「七人の侍」を観ているのです。


そのときの感想は、「英語字幕がついていると、音が割れて聞きにくいこの映画がわかり易い」って感心したくらい。もちろん内容についても(その時四回目くらいの{七人の侍})思いはあったのですが、生き方の指針まではもちろん見つけていません。


そして同じ、1980年。以前にも書きましたが、横尾忠則はNY近代美術館の歴史的な「ピカソ展」でイラストレーターから画家に転進する大きな決心をしています。この展覧会も見ている私は、「ピカソ、スゲー」だけ。


世界に向けて仕事をしている日本人二人が1980年に体験した同じ体験をしている私の、なんとボンクラなことか。