キース・ジャレット〜チャーリー・ヘイデン「ジャスミン」


昨日の休日、冬型まっさかりの寒空のもと、ウチの子(犬)を連れてお気に入りの公園で本を読んでいました。


寒いといっても北の地に比べればずいぶんと温暖なこの地、防寒対策をしっかりして、風が吹き通らない場所を探せば人がいない分静かに過ごせます。



それ以外は、ずっと最近届いたキース・ジャレット〜チャーリー・ヘイデン「ジャスミン」をずっとかけて聴いていました。


なんという穏やかで静謐な音群でしょう。


過激に人生を突っ走ってきた盟友二人が、人生後半、暖炉の前でゆったりととりとめもない話をしているみたいです。


デュオの名手、チャーリー・ヘイデンにキース・ジャレットとのデュオアルバムが存在しなかったことの方が不思議なくらい、二人の息はぴったりです。というより寄り添うようで静かに見つめたくなります。


ベーシストとしてのチャーリー・ヘイデンはたくさんのデュオ作品を創っています。思いつくもの、手元にあるだけでも、ゴンザーロ・ルバルカバ デニー・ザイトリン ジョン・テイラー ハンク・ジョーンズ ケニー・バロン エグベルト・ジズモンティ アントニオ・フォルシオーレ パット・メセニー・・・・そして私の記憶が正しければ、最初のデュオ アルバムである「クロースネス」ではキース・ジャレットとも一曲「エレーヌ・デイビス」を演奏しています。1976年、あのキース・ジャレット率いる「アメリカン・カルテット」の最終期でもあったこの時期のキースとの一曲だけのデュオは、アメリカン・カルテットの音楽性を研ぎ澄ましそぎ落とした緊張感溢れるパフォーマンスとしていつも私の心の中に残っているものでした。そしてチャーリー・ヘイデンのデュオの扉を開くアルバムであったと記憶しています。


あれから35年、二人の奏でる音楽は方向性も、音質も、メロディーラインも、コード進行も、選曲も全く別物です。しかしながら根底に流れる音楽への真摯な態度と愛情、二人の信頼関係は全く変っていないのです。


ジャスミン」はそのほんとんどがミディアム・スローのスタンダードナンバーで貫かれています(全く知らないスタンダード曲が半分) キース・ジャレットのスタンダードといえば、ピアノトリオとしては歴史的な、ゲイリー・ピーコックジャック・デジョネットとの1983年から未だに続くスタンダード・トリオでの演奏とつい比べたくなります(こちらのトリオで演奏されるスタンダードは全曲が超有名曲ばかり)。事実私も比べてみようと思ったのです。ところが、「ジャスミン」で選曲された楽曲は、膨大なスタンダード・トリオの選曲の中には「ボディ&ソウル」以外ひとつも入っていませんでした(少なくとも私の手持ちの中には・・・たぶんほぼ全曲もっているはず) 二つのプロジェクトは同じスタンダードでも明らかに方向性が違うのです。決定的なのは、まずテンポ。スタンダード・トリオでは、バラードはあってもミディアム・スローの演奏はほとんどありません。そして、チャーリー・ヘイデンゲイリー・ピーコックという両巨頭のどんな素人が聴いても理解できるベーススタイルの違いはさらに大きいのです。チャーリー・ヘイデンはミディアム・スローではあらゆる場面でオーソドックスで重厚なフォービートを刻み、ゲーリー・ピーコックは自由でフォービートにとらわれない(いわばスコッロ・ラ・ファロのような)ラインを奏でます。ベーシストのラインが違えば、ビアニストの左手の動きは別になります。キースの場合、それは顕著です。チャーリーとの演奏では、ブロックコードをチャーリーに合わせて穏やかに四打ちし。ゲイリーと一緒だと左手の和音は自由自在です。当然のように右手のアドリブラインも、チャーリーとでは一音一音を確かめるように静かで美しいゆったりとしたメロディーを創作し、ゲイリーとでは美しいラインながら時にそれは綺羅星のように華麗に舞います。


どちらがいいのか?どちらが好きか?そんなもん、両方好きに決まっています。どちらがいいなんていったら罰があたります。両者もしくはクロースネス当時のキース・ジャレット〜チャーリー・ヘイデンの三者を比べて、どれが優れているか・・・のようなランクや好き嫌いをいうことほど愚はありません。この歴史に残る演奏群を全部リアルタイムで楽しんでこられた喜びを神に感謝すべきなのです。


それほど彼らの音楽は素敵です。


1960年代から彼らの演奏をずっと追いかけてきてたどり着いた「ジャスミン」  お奨めです。