お節料理今昔その2


昭和50年代から60年代にかけて、お節料理は料理店、ホテルで次々と作られるようになり、それらはデパートでも盛んに販売されるようになりました。


料理店のお節だけ出なく、スーパーマーケットでもお節料理が販売されるようになり、平成に入るとコンビニも加わって消費者の選択肢は爆発的に増えました。お節料理は家庭で作るものから、予約するもの買うものに変化したのです。家庭で母から子へと受け継がれる味わいは、大手の既製品満載のお節料理にとって変られたのは、巷にドンドン増えていったファミレスや大規模に展開する外食産業の隆盛と同じように進行していったのです。


年末賑わいをみせた乾物屋 魚屋が軒を連ねたこの街も、この変化に沿うように静かになっていきました。お節料理を家庭で仕込まないで、デパートやスーパーに買いにいくのですから食材屋がそろう街は当然のように閑古鳥が鳴きます。この10年ほどは、大晦日に店を開けているのは私の店を含めて二三軒ほどで街はしんと静まり返っているのが大晦日の風景になったのです。


同様に昭和の時代では、正月三が日は料理店を含む多くの店が軒並みお休みでしたから、年末にはお節料理も含めて三日分の食材を買い揃えるのが通常であったのですが、これもコンビニ、ファミレス、大手チェーン店の繁栄と足並みを揃えるように正月二日には営業を始め、加えてデパート、スーパーも同じように営業するようになったために、買いダメ必要は全くなくなりました。それらも平成に入ってから正月の風景の大きな変化の一つです。


そして、お節料理はデパート、スーパーで買うのに加えて、通販、宅配で手に入るようになったのもこの10年ほどの大きな変化の一つです。流通革命とインターネットの広まりは、お節料理と正月の食事風景をさらに変化させようとしてます。加えて、今回のグルポン騒動のようにマイナス要因も表に出て、果たして時代はどんな風に変化して行くのでしょう。環境が大きく変化をしても料理人にできることは、料理そのものをまじめに地道に一つ一つ手仕事を重ねていくだけです。