映画館の危機
「大奥」
「スープ・オペラ」
「君に届け」
「機動戦士ガンダム」
「ザ・ラストメッセージ 海猿」
「借りぐらしのアリエッティ」
「はなみずき」
「Beck」
「悪人」
「私の優しくない先輩」
「十三人の刺客」
「バイオハザード?」
「食べて、祈って、恋をして」
80万都市のシネコンにかかっている映画がこれです。十三本中十一本が日本映画、しかも高い志を感じる映画がここにあるでしょうか?
映画好きのあなただったらこの中に絶対のお奨めがありますか?
予告編を見るだけでも感じるのは、ポンニチ映画の人の死を題材にしたお涙頂戴と、心温まる・・・と勘違いさせた押し売りの感動と、漫画やTV番組、流行小説を追っかけるだけでオリジナル脚本をあきらめた映画ばかり。この手のポンニチ映画がテレビ局中心に作られ、テレビのバックアップを使ってこれでもかというほどのCMを流し、「TVの予告が面白そうだから、感動できそうだから」という客を集め、テレビバックアップゆえに俳優も監督も評論家も批判を控え、蓋をあければちゃんと儲かる仕組みが出来上がっているのです。ちゃんと儲かれば、このTV局もあのTV局もバックボーンは同じお安い感動を売るだけの映画を作って、本業のCM収入の激減を映画で少しでもカバーしようとしているのだと聞きます。
ここまでくると、俳優の演技が素晴らしかったとしても「モントリオール映画祭○○受賞?TVサイドの裏でもあるんじゃぁないの?」くらいに思ってしまうほど、いい映画を作ろうとする志よりは、儲かる映画でありさえすればいいという志しか映画好きには伝わってきません。
「外国のいい映画がなんでもっと入ってこないんだ」とお嘆きのあなた、実は日本では外国のどんないい映画があってもカップルで楽しめるものでなければ、即ボツなのだそうですよ。
「これだけシネコンが多いのになんで秀作外国映画をやらないんだ」とお嘆きのあなた、実はTV局主体のポンニチ映画が多すぎて海外の秀作映画をかける小屋の絶対数が足りないんだそうですよ。
地道な活動を通じてなんとか上映される秀作も田舎町にはやってきません。あのアカデミー賞にノミネートされ、ハリウッドの傾向を変えるのではないかと噂されたほどの「プレシャス」だって、この田舎町ではつい先日(半年遅れ)で上映されたばかり、しかも18:30の一回上映のみ、日曜日でも観客十人以下なんでありますよぉ(この地の民度が低いといわれればその通りなんですけどね。いい映画だけをかけようという小さな小屋もちゃんとありますが)
・・・・というわけで、一縷の望みをかけて「十三人の刺客」を観にいってきました。
前半部分は残虐非道な将軍の弟を暗殺するための筋道を丁寧に作り、老練な俳優達の名演も加わって、とても好ましい映画であったのですが、予想どおり、「切って切ってきりまくれぇ」(CMにも盛んに出てきます)の合図からは、私の好みの嗜好からはどんどん離れていってしまいました。
まっ、これが観客の気持ちをすかっとさせる娯楽大作ってことなんでしょうが、悪人側はどれだけ殺されてもその他大勢で、志のある側の死は思いいれたっぷりに描かれるのです。
チャン・イーモーの「王妃の紋章」でも、ピーター・ジャクソンの「ロード・オブ・ザ・リング」でも、リドリー・スコットの「ブラックホーク・ダウン」でもそうでした。大勢の虫けらのような死と尊厳のある死の差があまりにも大きい映画には心が動かされません。
「十三人の刺客」をちょっと見れば感じる「七人の侍」とのいくつかの共通事項があります。きっと監督を初めこの映画を作った多くのスタッフ達は「七人の侍」に大きな憧れを持っているはずです。その「七人の侍」では、悪人側である野武士集団のひとりひとりの死が、きちんと克明に描かれています。その他大勢の虫けらのような死は一つもないのです。地図に描かれた野武士の○が消されていくとき、名前は付けられていない(黒澤さんはきっとひとりひとりにつけているはずです)野武士たちでも誰がどのように死んでいったのかはすべて明確なのです。ここに長く語り継がれる名作と、忘れられていく作品の違いがあるように思うのです。
監督はもちろん、プロデューサーも、脚本家も、映画に関わるスタッフひとりひとりが「俺達が創りたい映画はこんなんじゃぁない!」という思いをもち続け、観客も「見たい映画はこれじゃあない。私たちの感性を馬鹿にするな」と強く訴えなければ日本映画の未来はないんじゃぁないでしょうか。