伊勢神宮


暑さが少し和らいできた休日、日帰りで15年ぶりに伊勢神宮へ行ってきました。


初めて伊勢神宮を訪れたとき、そのキッパリとした清廉さにうたれました。不要なものを徹底的に排除し、神さまを祭るための最小限のものだけが潔く配されている姿は、日本全国に存在する観光のための猥雑さとは対極にある潔癖に囲まれていました。


神信心はまったくない私ですが、あの潔さに触れたくなったのです。


境内は深い緑に覆われているために、アスファルトの上とはまったく違う涼しさが行き通っています。そこには自動販売機も、鉄の囲いも、照明器具も、電線も、ノボリや旗も、スピーカーも、必要以上な売店も、バリアフリーに象徴される昨今の利便さもなにもありません。さらに驚くべきは、参道にはディズニーランド以上にゴミや落ち葉もないのです。


どうしても必要なものは緑や木々に同化する色で目立たないように配されていて、注意しなければ気づきません。


メディアが騒ぐパワースポット流行のせいか、若い女はやけに多いのですが、60代以上の高齢者は逆にとても少ないのです。もしかすると、足腰の弱った高齢者のための設備が新たに設けられてはいないために御参りをさせにくくしているのかもしれません。しかしながら、あの全体の美意識を壊すような設備を作るような愚には走ってもらいたくないものです。歩いてお参りできるものがお参りすればいいのです。



あの神宮の美意識が太古の昔から日本人の根底にあるとしたら今一度神宮に立ち返って自らを見つめなおしてみたいものです。神信心は別としてそういう心の拠り所として私には大切な場所です。