自分でやることの正しさ


ずっと昔、TVの1時間番組であるお寿司屋さんが紹介されました。


店でお客様に提供するための魚を自分で釣りに行くというのです。船も持ち、朝早くから釣りに出かけ、帰って仕込みもし、夜、釣った魚を提供する。


私も若かったので、TVがどの部分を誇大にピックアップして伝えようとするかなどというからくりなんぞ頭になくて、「わぁぁ。。。すっごいなぁ」と単純に驚いていたのです。そのお寿司屋さんは今では取り上げられているを観たこともなく、たぶんアレ一回ポッキリだったのか?店の名前さえ思い出せません。


ケースは違いますが、今でも店の裏の畑を耕して、自作の無農薬野菜を提供しているようなお店は世間のたくさんあるようです。


料理人が自分で釣ってくるから美味しいはず、料理人が自分で栽培しているから美味しいはず、安全なはず。特に日本人は料理人が自ら素材までたどって作っていたり取っていたりすること、ほかでは他店、専門店に任せる食材を自ら作ることにに対して盲目的に肯定しがちです。肯定ならまだしも「美味しいはず」と思い込む、そしてその思い込みが自分の舌も納得させているような気がします。


私の個人的な経験では仕入れ仕込みをきっちりやっている上に釣りに出かける時間的な余裕が毎日あることが不思議ですし、専門的な農家さんの取り組みを見ていると、裏庭の栽培野菜にはある程度の限界があるとも思うのです。自ら作ることを否定をするわけではありませんが、TVなどで誇大に「自作野菜」を強調しすぎることには違和感を感じます。自作野菜であること自体が売りで、それをマーケッティング一部として考えるならそれは成功の秘訣かもしれませんが、料理人が真っ当に仕入れ、仕込みをしようと思うと、料理以外に時間を作ることは本当に難しいのです。また漁師よりも優れた技術と、毎日最上の魚を釣れる能力と料理人としての能力を両立できることの難しさは素人が考えてもわかります。趣味の釣りの延長に料理店があるというのは商売として考えにくいのです。


もっと卑近な例で考えてみましょう。


日本料理店の鰹節を使う分だけ毎日出汁をとる直前に自分でかいているか、鰹節店から届けられたものを使っているか、もしくは何日分かをまとめて届けてもらっているか。

香りが命の鰹節ですから「何日分かをまとめて」は置いておくとして、自分で削る(かく)か、かいてもらうかでは、お客様が聞けば「自分でかく」を知っただけで美味しそうな気がします。事実一般的に時間的な劣化を考えれば、自分でかくことに軍配は上がるのですが、私ン処のように、50mのところに幼馴染の乾物屋が3軒あって、毎日朝夕二回、出汁をひく直前にかきたてをもってきてもらう幸せな環境にある人間にとっては、自分で鰹節をかく時間的な制約と、その道のプロがやる仕事の精度の部分で圧倒的に「店にかいてもらう」ことに美味しさがあるのです。


たとえば、フレンチやイタリアンでパンを自ら焼いている店、これも今ではたくさん存在しますが、自ら焼いているから美味しいのではなくて、料理人のパンを焼く技術が素晴らしい店なら美味しいのです。


自家製、ホームメイド、手作り・・・だから美味しいとは言い切れないとわかっていても、料理人が自家製というと闇雲に美味しいと思ってしまう必要はありません。自家製のほうが絶対に美味しいものは自家製で作り、その道のプロに任せたほうが遥かに素晴らしければ、そのプロの仕事に敬意をはらって使わせていただく。純粋に味わいそのものに目を向けてみたいものです。