好き嫌いなしの呪縛


ゲテモノの類は除き、普通に日本で食べられるもので好き嫌いはまったくありません、たぶん。


ちゃんと美味しいものであれば、これまで食べることができなかったという料理もひとつもなし、思い返せば。


ですから、店では「お召し上がりになれないもの、苦手なものはございますか?」とお客様にお尋ねするのですが、その「嫌い」という感覚が理解できません。


なかには「あの食感がゆるせない」とか「人間が食べるものではない」とか「食べられないことはないけど積極的に箸はのばさない」・・・などといわれると、その嫌い感にはまったく検討がつきません。


ある意味、これって料理人としては大きな決定的な欠点かも。


嫌い感を嗜好の中心に置いてしまうと、「あれもだめ」「これもだめ」ということになります。先日、黒ビールをお勧めしたところ「あの甘みがだめなんだよね」とおっしゃいます。別の方はお造りに盛られた鯵を「鯵の臭みがどうも・・・」とおっしゃいました。


たぶん黒ビールは、全国どこでも飲まれている某メーカーの黒ビールを基準に(日本では黒ビールの選択肢が少ないです)「嫌い」とおっしゃり、鯵は、一般に食べられる鯵でヤナ思いをされたのだと思われます。好き嫌いのない私にしてみると、某メーカー黒ビールはだめだとしても、このビールなら美味しいのに・・・と心の中で残念に思いますし、今の時期、私ン処で使う鯵を一口でも食べてみて欲しい(臭みなんて微塵もありません)・・・とやはり心の中で残念に思うのです。


なんて思ってしまうのは、自分に好き嫌いがないゆえに、「嫌い」とおっしゃる方のメンタルな部分を理解できない落ち度なんですね。


とはいえ、一度の経験で「○○は嫌い」も、実は本当に美味しい○○に出会っていないだけなのかもしれません。「あれ?○○ってほんとうはこんなに美味しいの?」と嫌いを払拭してトライしてくださる柔軟性と好奇心・・・・っていうのも、「嫌い」が理解できない輩のゴタクかもしれませんね。