天麩羅蕎麦と冷やしにしん蕎麦


どんな料理店も新しい献立を世の中に問う時、それが薄っぺらなコピーになってしまうか、その店のオリジナリティーと主人の見識を感じられるかには大きな開きがあります。


いわゆる「○○ヌーボー」とか「新○○料理」とか「創作○○」の類に興味をそそられないのはそのあたりの見識の問題が大きいような気がします。


年に二回、お酒の仕入れの帰り道による「薮蕎麦 宮本」(島田)さんには料理人が目指す見識のバックボーンがしっかりあります。


たった一年に二回しか伺わないのに、いつも献立のどこかに工夫が加わっているのです。普通蕎麦屋さんの献立などある意味変えようがないともいえるに、天ざるでさえこれまで何種類の工夫を見てきたかわかりません。


今回の天ざるはいつものかき揚げ(ちょっと小ぶり)を熱い汁(ざるの汁よりもうすく、かけの汁よりもすこし濃い目)に自分で投入し、汁をしっかり吸ったかき揚げを食べつつざる蕎麦を食べるという趣向。ざるはお代わりをしてちょうどいい分量になります。ちょっと濃いかなと思ったそば湯を入れた後の汁もすべて飲みつくす美味しさに仕立てられていました。


一方、冷やし鰊蕎麦は鰊蕎麦をそのまま冷たく冷やしたようなもの。とはいってもかけ汁の甘辛具合は冷し用に上手に調えられ、白髪葱と茗荷の包丁具合に鋭い切れ味を感じます。冷やした鰊が硬くならずにしっとりしていることにも驚きます。


行く度に何らかの工夫があり、常に進化し続ける蕎麦屋さん、それでいてそれが「創作」の妙チキリンな方向に走っていない稀有な存在です。見習うべきものが店のそこかしこにあります